現役時代の話をする米田哲也氏
先発投手が完投を求められた時代に、1977年の引退までの22年間で949試合に登板した米田哲也氏(79)。疲れ知らずで「ガソリンタンク」の愛称でも親しまれた鉄人に、当時の話を聞いた。
中日・岩瀬、歴代最多の949試合登板 米田氏に並ぶ
――どのように体をケアしていたのか。
肩を冷やしてはいけないという時代。今のようなアイシングはなく、登板後は風呂に入ったあとに消毒用のアルコールを右肩に塗った。ひやっとするけれど、熱を逃がさないために。
翌日も投げて体をほぐした。ストレッチやウェートトレーニングもあまりない頃。登板前は、数キロの鉄亜鈴を持って肩を回したな。肩が軽く感じるから。
――19年連続2桁勝利はプロ野球記録。結果を残し続けられた秘訣(ひけつ)は何か。
成績を挙げても、翌年はまた投げられるか不安。だから、練習をする。そのくり返し。キャンプでは1日300球を投げる日を作った。そうすると、試合で150球は楽に投げられる。投げて肩を強くした。
――1千試合も目標にしていた。
狙っていた。僕は金田さんを超したいと思い、勝利数(400勝)も狙っていた。でも、病気になったら辞めると決めていた。痛風になってね。最後の350勝目は痛くて靴も履けない状態。だから、スパイクは右足親指の横の部分を切り開いて履いて投げたんだ。
運プラス実力。それと、チーム事情。それがないと記録は生まれない。300勝以上の投手は弱い球団の人が多い。「よーし、やったる。上のチームをいじめたる」というのがあった。
――引退から40年。登板数に並ぶ投手が出てきた。
僕の頭の中は完投しかなかった。セーブがつくようになった時代の流れもあるし、残念という気持ちはない。記録は出てくるものだし、作るもの。岩瀬も1千試合をできるなら、やってくれるといいと思う。(聞き手・上山浩也)