練習でノックを受ける明徳義塾の斎藤準弥
(16日、高校野球 前橋育英3―1明徳義塾)
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明徳義塾の斎藤準弥には、高知の山奥で温めてきた夢が二つあった。「一度でいいから、こんな満員の球場で守ってみたかった」。試合終了を一塁コーチスボックスで迎え、一つはかなわなかった。「でも、この舞台に立てただけでも恵まれている。今までで一番たのしかった」。笑顔で振り返った。
野球をするために、中学から明徳義塾へ進んだ。最初の感想は、「すごいところへ、きてしまった」。学校も寮も市街地から離れた場所にあり、携帯電話は使用禁止。テレビを見る時間も限られている。情報に飢えていた。
中3のとき、帰省した京都の実家で大リーグの動画に見入った。大観衆のなかで同じ内野を華麗に守るマリナーズのロビンソン・カノの動きに、ほれ込んだ。「こんな選手になりたい」。同時にもう一つの夢が生まれた。「海外にいって、大リーグのすごい選手に会ってみたい」
高校進学後も憧れは強くなる一方だった。情報が少ない分、考えを巡らせる時間は多い。どうしたら、メジャーリーガーに近づけるか。選手として難しいことは自覚している。「通訳なら、すごい選手の身近にいられる」と思い至った。
それまで不便と感じていた環境が、実は「通訳」という二つ目の夢への近道だったことに気づいた。
明徳義塾は、中高合わせた全校生徒の約4割が外国人留学生だ。国際演劇部という部活には英語を話せる生徒が多い。「教われば、いいんだ」。2年の秋、豪州から短期留学できていた生徒に話しかけてみた。「ひかれたら、どうしよ」。不安な心境から勇気を出して一歩踏み出し、つたない英語で簡単な会話を交わしてみた。
もともと野球と勉強以外にやることは少ない。英語の授業は特に身が入った。野球では、守備を磨いた。3年になり、守備固めと一塁コーチでベンチ入りできるようになった。夏もメンバーに残り、甲子園出場が決まった。関西に来てから英語の勉強時間は減ったが、うれしいことが一つあった。宿舎のホテルで、久々に大リーグ中継が見られた。
そんな生活は、前橋育英に1―3で負けて終わりを迎えた。この夏、高知大会から一度も出場はなかった。「やっぱり悔しい。プレーしたかった」
選手はこれで一区切り。今後は英語の勉強に専念するため、進学先を考える。「ここまで野球では苦しい過程を頑張ってこられた。英語も大丈夫です」。太平洋の先にある、もう一つの夢を追い続ける。(小俣勇貴)