聖光学院6番打者の大平悠斗君=16日、阪神甲子園球場、林敏行撮影
(16日、高校野球 聖光学院5―4聖心ウルスラ)
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聖光学院(福島)の三塁手、大平悠斗君(3年)は、東日本大震災の津波で自宅の一部を流され、一度は野球をあきらめかけた。しかし、両親から支えられ、夢だった甲子園への出場を果たした。
福島県いわき市出身の大平君は、野球好きの父・国光さん(49)の影響で、小2から地元の野球チームに入った。その頃、父親と一緒に聖光学院の試合を見た。終盤での粘り強さ、ミスを逃さず打ち崩す打撃力。入学して甲子園に行くことが夢となった。
だが、2011年3月の東日本大震災で何もかもが変わった。高台へ避難した家族は無事だったものの、自宅の1階部分が流された。アパートで苦しい避難生活を続ける中、「野球をやりたいと言っちゃだめだ」と思った。
両親は「野球がやりたいんだろ」と、津波で流されたバットの代わりも買ってくれた。でも、「私立の聖光学院に行きたい」とは言えなかった。
中3の秋、夕食で父が「高校はどこに行きたいんだ」と聞いてきた。「うん、別に」。歯切れの悪い大平君に、「お前の進路だろ」。声を振り絞るように「聖光学院」と口にした。「そうか、分かった」。答えが信じられず、「え、いいの?」と声が上ずった。
入学してからは「レギュラーを取って、恩返し」が目標。朝は午前5時45分に起き、バットを振り込んだ。昨秋にはベンチ入りし、今春は主将に。しかし、そうすると打率が1割台まで低下。6月中旬、斎藤智也監督から「選手に専念して欲しい」と言われ、主将から外された。
そんな時も、支えてくれたのは「立場は変わっても、やることは変わらないでしょ」と電話で励ましてくれた両親だった。徐々に調子を取り戻し、甲子園での初戦は2安打1打点の活躍。「今ここに立てているのはお父さんとお母さんのおかげだよ。日本一最高の家族だ」と手紙に書いた。
16日の聖心ウルスラ(宮崎)との試合は犠打を決めて貴重な追加点につなげ、試合も5―4で勝利。「泥臭いプレーが僕の持ち味。日本一に向け、自分らしい野球を貫いていきたい」(石塚大樹)