九回表に本塁打を放ち、一塁を回って拳を上げる聖心ウルスラの請関史也君=16日、阪神甲子園球場、奥田泰也撮影
(16日、高校野球 聖光学院5―4聖心ウルスラ)
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応援席に、お父さんがいるような気がした――。聖心ウルスラ(宮崎)の主軸、請関(うけぜき)史也君(3年)は16日、聖光学院(福島)に敗れたものの、亡くなった父の姿を感じながら甲子園で戦った。
2点を追う九回。先頭で打席に入った請関君は、いつものように応援席を見上げた。それまでの3打席は凡退。「何とかしたい」。初球を振り抜くと、打球は一直線で右翼席に飛び込んだ。ガッツポーズをしてダイヤモンドを一周した。
3年前、宮崎県延岡市で父の義史さんが、くも膜下出血で倒れた。
中学3年だった請関君は、硬式野球クラブの主将として全国大会へ出場。結果を残した満足感もあり、野球をやめようかとも考えていた。「このまま野球を続けるべきじゃない」。父の姿や今後の家庭の状況も考えると、高校進学すら必要ないと思った。
だが数日後、病室で眠っていた義史さんがふと目を覚まし、一言だけ告げた。
「野球は続けてほしい」
野球が大好きで、家でも野球の話ばかりだった父。「わかった。お父さんも病気に勝って」。反射的に言葉を返すと、満足したような表情が浮かんだ。
1カ月後、義史さんは46歳で息を引き取った。「(野球をやめようとしていると)親の勘で察したんだな」と今になって思う。
聖心ウルスラへ進学した請関君は、1年生からレギュラー。だが、小田原斉監督に「天国のお父さんになんて言うんだ」「俺がお前の親だったら同じように怒るぞ」などと何度も生活態度を注意された。
当初は反発したが、最後の夏は副将としてチームを引っ張った。派手な長打ばかり狙っていた打撃は、チームのため着実につなぐ姿勢に変わった。「小田原先生じゃなかったら、ここまでやれていたか分からない」
甲子園に出発する前日、義史さんのお墓を掃除し、「行ってきます」と告げてきた。憧れの甲子園で2試合を戦った。宮崎に戻ったら、甲子園の土とボールを持って報告するつもりだ。「楽しく野球ができて、うれしかった」(大山稜)