江戸時代の武士、城戸左久馬の手紙を前にする大沢邦彦さん=鳥取市紙子谷
古いびょうぶの下張りから、鳥取藩主池田家に仕えた武士が江戸から妻にあてた手紙が大量に見つかった。妻から江戸にいる夫にあてた手紙も含まれ、確認されただけで約180枚になる。参勤交代や江戸暮らしの様子を書き記した手紙で、専門家は記述の詳しさに注目している。
発見したのは鳥取市紙子谷の大沢邦彦さん(71)。大沢さんは神社の宮司で、子どものころから古文書に親しんできた。「古文書を読む会」で講師を務めている。江戸時代から明治初期に作られたびょうぶやふすまには、不要になった手紙などの書類が下張りに再利用されている例があり、今回手紙が見つかったびょうぶは鳥取市内の知人から大沢さんのもとに持ち込まれたものだった。
びょうぶは6曲で、下張りに明治時代の新聞が使われており、さらにその下から手紙が見つかった。大沢さんは3年かけて手紙を整理し、解読した結果、約200年前に鳥取藩主が参勤交代した際に随行した城戸左久馬という武士と妻がやり取りをした手紙だとわかった。大沢さんは「これまで多くのびょうぶやふすまを解体してきたが、(特定の)1人の手紙がこれだけ大量に出てきたのは初めて」と話す。
手紙が書かれた時期は1817(文化14)年から1818(文政元)年と、1823(文政6)年から1826(文政9)年の2度の参勤交代で江戸に詰めた期間。城戸は鳥取藩8代藩主、池田斉稷(なりとし)のかごを警護する供侍で、随行して訪れた場所など筆まめに様々な事柄を記している。
斉稷が、異母妹で薩摩藩主島津家に嫁いだ弥(いよ)姫のいる島津家の江戸藩邸を訪れた時は、出されたごちそうのことを細かく記している。「あわもり一銚子小皿に白砂糖唐物の猪口二ツのせ出ル」と、「泡盛」が供されたことにも触れている。大沢さんによると、酒の種類が記されている史料は珍しいという。
2度目の江戸詰は3年を超す長期にわたっている。城戸は国元へ帰るめどが立たないことを「気味が悪い」とし、さらに滞在が延びたら「退役仕候も残念ゆへそうなったら覚悟を決めて相詰居申候」と役職を辞して帰りたいというようなことも書いている。大沢さんは「周りに知られたら大変なことで、妻にだけ読まれる手紙だから正直な胸のうちを書けたのだろう」と話す。
他にも一人息子の勝のことでお…