森鷗外自筆原稿「北条霞亭」=宮城県亘理町立郷土資料館保管「江戸清吉コレクション」(個人蔵)
森鷗外(1862~1922)最後の史伝「北条霞亭(かてい)」の自筆原稿とされてきた神奈川近代文学館所蔵の原稿が、昭和前期に鑑定を依頼された医師で文学者の木下杢太郎〈もくたろう〉(1885~1945)がそっくり書き写したものだとわかった。宮城県亘理町立郷土資料館保管「江戸清吉コレクション」(個人蔵)で、これと同じ鷗外の自筆原稿が確認されたためだ。中島国彦早稲田大名誉教授が同文学館の機関紙に調査経緯を発表した。
1917(大正6)年10月末から東京日日新聞と大阪毎日新聞で始まる連載原稿の冒頭1回分。自筆原稿は、鉛筆書き、縦約27センチ、横約19センチ前後の紙9枚が和装本に仕立てられていた。一方、模写は墨書で、縦約28センチ、横約40センチ、黄色の和紙計6枚。自筆の2枚分が横長1枚に書かれる。行数、字詰めは自筆原稿と同じ、書き込みや付箋(ふせん)を貼った修正箇所もほぼ同じだった。ただ、自筆原稿には「二十六日着」という朱筆など編集者のものと思われる書き込みがある。
「江戸コレクション」は明治から昭和前期にかけ亘理町に暮らした豪商・江戸清吉が収集したもので、夏目漱石の「文鳥」原稿なども含まれている。78年の宮城県沖地震で存在が明らかになり、「北条霞亭」の原稿の存在は一部で報告されていたがその成果は埋もれ、同文学館所蔵の模写が自筆として通用、展覧会などで出品されていた。2011年の東日本大震災で津波をかぶったコレクションが注目され、中島さんの調査で自筆原稿の存在が再度明らかになった。
コレクションには、江戸が原稿…