病院に運ばれてきた患者の様子などが書かれたホワイトボードは、持ち出される前に放射能にどれくらい汚染されているか測定された=22日午前、福島県大熊町、福留庸友撮影
東京電力福島第一原発事故の影響で全町避難が続く福島県大熊町。22日、町内にある県立大野病院(閉鎖中)が原発事故以来、初めて報道陣に公開された。地震と津波の被害に遭った住民らを治療していたところ、原発の事態が悪化し、避難を迫られた当時の状況が残されていた。
「津波にのまれ呼吸苦」「下腿(かたい)骨折」。院内のホワイトボードには、患者の容体を示す紙が何枚も貼られていた。ストレッチャーが無造作に置かれ、天井の一部はパネルがはがれて床に散らばっていた。各診療室には布団が敷き詰められ、ロビーにはベッド代わりにしたと思われる寄せ集めの椅子。発泡スチロールの食器も散乱したままだった。
県によると、原発から約4キロに位置する病院に国から避難指示が出たのは、2011年3月12日午前5時45分ごろ。入院患者約30人のほか、運ばれてきた患者や職員、住民ら合わせて約120人が身を寄せていた。午前7時ごろ、大型バス2台が到着。患者らを乗せて出発した。ただ目的地はなく、一緒に避難した医師の木本圭一さん(65)によると、「できるだけ西へ」という指示だったという。
原発から20キロ圏外の川内村に到着したのは午前9時ごろ。村で3日間、避難生活を送ることになるが、この日の午後、第一原発の1号機建屋が爆発した。
福島県は、震災と原子力災害の教訓を継承するため、20年夏に当時の資料を展示する施設を双葉町に建設する方針。この日の公開・立ち入りも資料を保存する一環で、震災発生時で止まった掛け時計など23点を収集した。(石塚広志)