米高級車「キャデラック」をベースにした極厚ボディーの巨大な車が、都心を走っていく。11月初めに来日したトランプ氏が乗っていた大統領専用の防弾自動車だ。通称「ビースト(野獣)」。銀行の大金庫並みの堅牢さとも言われるが、実態は公表されていない。しかし、日本にも防弾車を作っている企業がある。要人の身を守る車とは、一体どんなものなのだろうか。東京五輪に向け、テロ対策への関心も高まっている。実際に乗って、その守りを体験してみた。
協力いただいたのは、防弾車メーカー「セキュリコ」(東京)。地下駐車場には防弾車に改造された、黒塗りのトヨタの高級車「レクサス」(LS600hL)がとまっていた。田之上俊朗社長は「性能など公表できる部分と、できない部分があります」と前置きしたうえで、「あらゆる拳銃やサブマシンガンの掃射に耐えられます」と語る。
ただ、がっちりとしたビーストと違い、外見は普通のレクサスとほとんど変わらない。
田之上社長は「防弾車は本来、街に溶け込むのが鉄則。一目で分かるようでは、攻撃を誘発してしまいます」と強調する。そのため自社開発の防弾ドアガラスも、通常のレクサスと全く同じカーブを描いている。防弾パネルは、ドアやボンネットの内部に取り付けてある。
乗ろうとすると、ドアがずっしりと重いことに驚いた。腕だけではきつく、体全体を使って引っ張らないと動かしにくいほどだ。
特に重いのがドアガラスだ。厚さは20ミリ以上。通常の3倍もある。ポリカーボネートと特殊な膜を重ね合わせ、国内での犯罪で頻繁に使われる拳銃「トカレフ」の特殊弾丸も食い止める。念のため海外で実際にトカレフで撃ち続け、車内へのガラスの散乱もないことを確かめたという。
しかし後部座席に座ってしまえば、高級感のある「普通」の車内空間だ。
どこか変わった部分はありませんか――。ハンドルを握るセキュリコの営業部長、早野隆郎さんに尋ねると、運転席の上にあるスライド式の天窓を開けてくれた。本来は頭上の風景が眺められるはずだが、武骨な灰色の防弾パネルが現れた。天井への銃撃に対抗するためだ。
車体は通常のレクサスより約300キロ重い。ただエンジン出力に余裕があるため、発進はスムーズだ。タイヤは、パンクしても時速80キロで最長50キロ走り続けられる特殊構造だが、乗り心地にも違和感はない。
ただ、早野さんは「車体が重い分、意識して早めにブレーキを踏むことと、下り坂では加速がつきやすい傾向があるのが唯一の注意点です」。運転には若干の慣れが必要のようだ。
「防弾車は一台一台、職人が手作りしています」と助手席の田之上社長が言う。たとえばボンネット内の防弾パネルは、パイプや配線を避けるため複雑な形にする必要がある。極めて硬いため加工しにくく、受注から完成まで半年はかかる。そのため価格は市販車の約2倍。防弾レクサスの場合、1台約3千万円と価格もまさにVIP向け。
生産に手間がかかる一方で、納入先は限られるのが現状だ。銃撃に対抗する必要がある警察や、海外要人を迎える政府や官庁が購入するのが中心。田之上社長は「日本企業の経営トップなどが使うケースはまだ少ない。海外と比べてVIPの誘拐などへの危機感が薄いのでは、と感じます」。
さらに納入先を絞らざるを得ない事情もある。
「政府とも取引している以上、商品を犯罪組織に使われることは決してあってはなりません」
個人や非上場の企業は取引対象外。さらに勝手に転売されるのを防ぐため、どんなに信用のある上場企業にもリース(貸し出し)しかしないという念の入れようだ。
ちなみに納入した防弾車が、実際に銃撃を受けたことはあるのだろうか。そう聞くと「国の活動にも関わりますから、そうした情報は口外できません」と田之上社長にかわされた。
分厚いドアガラスごしに外に見ると、都心の街を大勢の人が歩いている。しかし誰もこちらに目を向けることはない。防弾車は完全に街に溶け込み、人知れず乗員を守っている。(信原一貴)