宮原知子
フィギュアスケート女子の宮原知子(関大)は、お守りのように大事に、必ず試合に持参するものがある。
浜田美栄コーチと、田村岳斗コーチにプレゼントしてもらった、小物入れとキャリーケースだ。小物入れには、演技で使う音楽の予備のCD、靴の刃のねじを回すドライバー、換えの靴ひもが入っている。キャリーケースには、スケート靴や衣装を入れて持ち運ぶ。どちらも選手としての必需品だ。
「先生からもらったカバンで、何となく、これじゃないと、と言う気持ちがあって、ずっと壊れるまでは使おうと思っています」
平昌五輪を目指す意思を「初志貫徹」と書いた。込めた思いは、「一心にスケートをしてきた。そういう姿を見せられるように滑りたい」だ。
米ヒューストンに住んでいた4歳の頃、スケートに出会った。その時から、何よりも好きで夢中になった。午後5~7時の教室で習い、その後リンクが閉まる午後10時まで遊んだ。
小学1年生で京都に移り住み、浜田コーチが指導するクラブに入った。春、シングルアクセル(1回転半)ジャンプを何度も何度も繰り返し、転んでは氷が解けた水で水浸しになる。3度も4度も着替えて、転んでまた水浸しになった。色んな技術を身につけようとした際、なかなかできなくて泣いた。練習を積み重ね、少しずつ身につけた。
浜田コーチは「辛抱の天才」「30年近くコーチをしているが、あれだけまじめにコツコツ練習する子は初めて」と評する。ジャンプやスピンの回転は、多くの選手とは逆の時計回りだった。無駄な力が必要な動きをする癖があったので、癖の修正よりも一から作り直した方がいいという浜田コーチの助言もあって、反時計回りに直した。
宮原は、世話になったコーチたちと共に五輪へ、という思いも強い。「小さい頃からずっと、10年以上、浜田チームにいて、ここまで来られたのも先生たちのおかげだと思っています。これからどんどん試合で結果を出すことで、感謝の気持ちを表し、先生たちに喜んでもらえるように頑張りたい」(後藤太輔)