池上曽根遺跡で出土した弥生時代中ごろとみられるタコ壺=大阪府立弥生文化博物館
たこ焼きは大阪名物だが、大阪人のタコ好きは2千年前からにさかのぼるらしい。
この秋、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で開かれていた「海に生きた人びと 漁撈(ぎょろう)・塩づくり・交流の考古学」(朝日新聞社など後援、12月3日で終了)は、全国から海に関する考古資料を集めた特別展だったが、私がとくに面白いと思ったのは、地元・大阪湾のタコ壺(つぼ)漁の歴史をたどることができたことだ。
博物館の隣にある弥生時代中期の集落遺跡、池上曽根(いけがみそね)遺跡(国史跡)では、2千年以上前の弥生中期の遺構から高さ約10センチのコップ形の土器が大量に出土した。日本最古級のタコ壺だ。小さな壺はイイダコ用、高さ20センチ以上の壺はマダコ用。タコ壺漁は大阪湾で始まり、瀬戸内海や北部九州にも広がったとみられる。
初期のタコ壺には、口縁部の近くに引き揚げるためのひもを結ぶ穴がある。弥生末期になると、底の方に取っ手状のひも穴をつけた、釣鐘(つりがね)形のタコ壺が登場。タコは光があたると逃げてしまうため、口を海底に向けたまま引き揚げられるメリットもあった。その後、大阪湾ではこの釣鐘型が主流になっていく。
和泉、高石、泉大津三市にまた…