サミットに向け外務省がまとめた、中曽根康弘首相の発言要領。「原子力発電の推進は電力需要の増大及びエネルギー源の多様化の観点から不可欠」と記されている
外務省は20日、1986年4月26日にソ連で起きたチェルノブイリ原発事故の関連文書を公開した。直後に東京で開かれた主要国首脳会議(サミット)の議長国だった日本は、原発推進の流れが損なわれることを危惧。声明のたたき台にあった「放射能」や「深く懸念」の表現が削除された。
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ソ連が事故を公表したのは、発生から2日後の28日夜(日本時間29日未明)。被害規模や原因が明らかにされない段階で、5月4日に開幕したサミットで日本が原発推進の機運に水を差さないよう国際合意の取りまとめに腐心した過程が明らかになった。
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1日に作成された「ソ連原発事故対処方針案」で、「原子力発電を推進することの必要性を再確認する」という基本的立場を明記。3日の文書では、サミット議長の中曽根康弘首相が外務省幹部に「日本は死の灰に対し強い関心がある」と述べ、自ら主導して原発事故声明をまとめることに意欲を示した。
当時、原発はすでに世界の総発電量の約16%を占め、多くの国が原発推進を基調としていた。中曽根氏自身も日米原子力協定の改定を目指し、国内の原発推進の旗を振っていた。当時は東西対立の雪解け期で、同じく原発推進のソ連と歩調を合わせることにもつながった。
政府は事故を機に反原発に世論が振れることを懸念。4月29日に外務省が在外の日本大使館に宛てた公電では「仮に炉心溶融、爆発といった事故であれば、米国スリーマイル島(原発)事故以上の深刻な影響をわが国原子力政策にもたらしうる」とした。一方で、国際原子力機関(IAEA)などからも、原発推進に向けてサミットの議論に期待する声があがっていた。
声明のたたき台では「事故によって放出された放射性物質がもたらす健康と環境への危険を深く懸念する」と明記。各国に根回しした結果、採択された声明は放射能の危険性について指摘した一文を削除し、「事故の諸影響について討議した」と短く触れただけ。原発については「将来ますます広範に利用されるエネルギー源」と位置づけた。
日本原子力研究開発機構の田辺文也・元上級研究主席は「日本は事故の原因もはっきりしない段階から『日本では起こりえない』と決めつけ、教訓を学ばなかった。その結果、東京電力福島第一原発事故につながる『安全神話』が醸成された」と指摘する。
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外務省による定期的な外交文書公開が20日にあり、1986年を中心に80年代半ばまでの外交記録の25冊のファイル、約6400ページが明らかになった。外務省は東京・麻布台の同省外交史料館で文書を公開するほか、今回初めて外務省ホームページに全データを掲載した。(石橋亮介)