戦友会に参加したエモンズの4人の元乗組員たち=バファロー、宮地ゆう撮影
[PR]
太平洋戦争で日本の特攻機の攻撃を受けた後、沖縄の海に沈んだ米海軍の掃海艇エモンズの元乗組員とその遺族による戦友会が、米国でいまも続いている。元乗組員が毎年亡くなるなか、わずかに残された沖縄戦の記憶は次の世代へと引き継がれている。
特集:沖縄はいま
写真特集:戦火の残響、南洋を巡る旅
沖縄の海に沈むエモンズ=恒成利幸撮影
「日本人は敵」思い変わった
ニューヨーク州バファローで9月半ば、今年の戦友会が開かれた。1年ぶりに再会する元乗組員やその家族たちが抱き合った。
「元気だったか?」「今年も会えてうれしいよ」。「USS Emmons」と書かれた帽子をかぶったアーマンド・ジョリーさん(95)は笑顔で戦友の肩をたたいた。
今年の戦友会には4人の元乗組員とその家族ら75人が集まった。
エモンズが特攻機5機の攻撃を受けたのは、1945年4月6日。この日、米艦船を狙って多くの特攻機が攻撃に出ていた。
トニー・エスポジートさん(94)は「カミカゼ(特攻機)はどこから突っ込んでくるかわからず、本当に恐ろしかった」と思い返す。1機目がエモンズの船尾に突っ込んだ直後、別の特攻機が降ってきた。エスポジートさんの10メートルくらい先に迫った機体の中に、一瞬、パイロットのシルエットが見えた。夢中で機関砲を撃った。機体は船をそれて海へと落ちていった。
「あの日の恐ろしい光景は、決して忘れることはない」。エスポジートさんは涙をぬぐった。
元乗組員の親族と再会を喜ぶエスポジートさん(右)=バファロー、宮地ゆう撮影
デニス・ヤッケさん(85)は仲良しだった兄ドナルドさんを失った。「日本人はずっと敵だった。長年、日本製品も買わなかった」。しかし、歴史書を読み、時間がたつにつれ、思いは変わったという。
「兄を殺したカミカゼのパイロ…