USJ社員としてショーなどの運営に携わっている馬場覚さん=13日午前、大阪市此花区、筋野健太撮影
年間1500万人近くが訪れる人気テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ、大阪市)。この場所で、発生から17日で23年が経つ阪神・淡路大震災を糧に新たな夢をつかんだ人がいる。
特集:阪神大震災
USJで働く馬場覚さん(45)は、ショーの照明など舞台技術の指導や運営に携わる。もとはアルバイトで、契約社員を経て正社員に採用された。「震災を理由に『できない』と思うことを自分に禁じてきた」と振り返る。
震災当時、神戸市東灘区にあった文化住宅の1階に住んでいた。団員15人ほどの劇団メンバー。全国の小中高校をめぐり、上演していた。この日はこたつに足を入れ、2週間先の公演の案内はがきを書いているうちに寝込んでいた。
気がつくと、たんすとはりが上に折り重なったこたつは脚が折れていた。下半身が挟まれ、身動きできない。あまりの苦しさから「早く楽になりたい」と思う一方、「助かりたい」と願った。6時間後に掘り出されるまで、歌を口ずさんで気を紛らわせた。
両足が強く圧迫されてクラッシュ症候群になり、ふくらはぎの筋肉が壊死(えし)した。「足を切らないといけないかもしれない」。医師から告げられ、何度も走る夢を見た。切断は免れたものの、足首を固定する装具が必要になり、歩き方もぎこちなくなった。
高校の演劇部で人を喜ばせる楽…