会場には大きな遺影が掲げられ、多くの参列者が献花した=広島市中区
マツダの元社長で、昨年12月に95歳で亡くなった山本健一さんの「お別れの会」が5日、広島市中区のホテルで開かれた。山本さんは世界で初めて2ローターのロータリーエンジン(RE)の量産化に成功。約1千人が「REの父」との別れを惜しんだ。
口癖は「飽くなき挑戦」 ロータリーエンジンの父死去
特集:飽くなき挑戦
山本さんは、旧東京帝国大学(現東京大)を卒業後、海軍を経て1946年に東洋工業(現マツダ)に入社。63年にRE研究部長に就任し、不可能とも言われた開発に取り組んだ。67年に初の量産車「コスモスポーツ」を発売。REはマツダのシンボルとも言われる存在となった。
会場では、山本さんの遺影が掲げられた祭壇の横にコスモが並べられたほか、その生涯を振り返る多数の写真も展示された。参列者には当時のRE研究部員の姿も。小早川隆治さん(76)は「部下が『あの人のために頑張ろう』という気になる稀有(けう)なリーダー。その指導力がRE開発の原動力だった」。松浦国夫さん(77)は「山本さんの『飽くなき挑戦』があったからこそ、我々も挑戦を続けられた」と語った。
スズキの鈴木修会長は「山本さんが社長の時に、マツダは小型車開発を一生懸命やり、スズキは軽自動車をOEM(相手先ブランドでの生産)で供給するという話を決めていただいたのが一番の印象」。ダイハツ工業の三井正則会長は「エンジンや技術で独自の考えをお持ちで、技術者として大いに尊敬している」と話した。(久保田侑暉、近藤郷平、田村隆昭)