宮城県遺族代表の小野寺秀俊さん(11日午前、東京都千代田区、内閣府提供)
政府主催の「東日本大震災7周年追悼式」が11日午後、東京都千代田区の国立劇場で行われ、岩手、宮城、福島3県の遺族代表が追悼の言葉を述べた。宮城県代表の小野寺秀俊さん(69)=東松島市出身=の言葉の全文は次の通り。
特集:東日本大震災7年 3.11震災・復興
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あの日、私は仙台で用事があるために、午後、妻と車で出かけました。「行ってきます」「行ってらっしゃい。気をつけてね」。それが最後の言葉になるとは、思いもしませんでした。父は翌日、自宅のがれきの下で見つかり、母は4月に不明者の中から、娘が見つけてくれました。
震災の後、両親の故郷に近い、みなし仮設に移りましたが、そこで、両親に縁のあった方々に、助けられて様々な支援をしていただきました。そんな時、おやじの子供で良かったと、何度も涙しました。現在は縁あって松島町に住んでいますが、毎朝庭先に雀(すずめ)の親子がきて団欒(だんらん)のおしゃベりをしています。そのほほ笑ましい光景を見ながら東を望むと、野蒜(のびる)のことが思い出されます。
朝ご飯の時、みんなで「いただきます」「ごちそうさまでした」と手をあわせた、何でもない普通のことが、本当に幸せで大事なことだと、震災後いつも感じます。震災後に結婚した娘に、両親の生まれかわりのように女の子と男の子が生まれました。その孫が来ると、決まって両親にお参りします。まだ小さいので、震災のことは理解できません。時期がきたら話して伝えていきたいと思います。
震災は私の人生で、とてつもない試練でしたが、元気で頑張ることがお返しと思い、地域で、小さいながらも自分でやれることを始めました。町内会の役員、観光ボランティアガイド、地域イベント活動、シニア・初心者の方を対象に、災害時にも役に立つ、スマホの講座もしています。
昨年までは海を見ると、心が落ち着きませんでしたが、今年の元旦には、震災後初めて野蒜海岸に行き、波打ち際で初日の出を見ることができて、輝く太陽と波の音が気持ちを新たにしてくれました。
いろいろな方々のおかげで今の私があり生かされています。ありがとうの言葉を胸に、宮城の自然と共存しながら、地域の皆様と共に支え合い一日一日を大事に前へすすみます。
結びに、亡くなられた方のご冥福を心からお祈りし追悼の言葉といたします。