政府主催の「東日本大震災7周年追悼式」が11日午後、東京都千代田区の国立劇場で行われ、岩手、宮城、福島3県の遺族代表が追悼の言葉を述べた。岩手県代表の磯崎一元さん(73)=釜石市出身=の言葉の全文は次の通り。
特集:東日本大震災7年 3.11震災・復興
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あの日、平成23(2011)年3月11日午後2時46分に地震が発生し、釜石で一人、暮らしていた90歳の母を亡くしました。
当時、東京で暮らしていた私は、仕事中で、かなりの揺れを感じました。震源が三陸沖と知り、母に連絡を取ろうとしましたが、連絡が取れません。すぐに安否確認に向かいたかったのですが、交通マヒ状態が続き、釜石に到着したのは、それから1週間後のことでした。
避難場所を回り探しましたが見つかりません。自宅はがれきの山で、足がすくむほどでした。ここにはいないと思いましたが、つい「オフクロ、オフクロ」と叫んでしまいました。
翌週、弟妹たちと自宅付近を捜索しましたが、見つかりません。自衛隊にご協力いただき、自宅を捜索していた時に災害本部より連絡があり、近くの安置所で、顔右側にかすり傷、そのほかは無キズ状態でいまにも起きそうな顔色の母に対面しました。3月28日午前11時20分でした。愛用の腕時計を遺品として受け取りました。
震災の前の年に釜石で父親の13回忌をおこない、子供、孫、ひ孫総勢25人で母90歳の卒寿をお祝いしました。その時の母のうれしそうな笑顔が脳裏に焼き付いています。
震災の年、8月のお盆を目安に私と女房と2人が釜石に戻り3人一緒に生活する計画をしていましたが、かないませんでした。
毎年3月の釜石市主催の追悼式と8月のお盆には帰っていましたが、今年、お墓を改葬しました。今後は近くで両親を見守っていこうと思っています。3月11日の午後2時46分のことは決して忘れないようにして。
最後に、様々なご支援をいただいた方々に感謝申し上げますとともに、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、遺族代表のことばとさせていただきます。