夏苅郁子医師
児童精神科医・夏苅郁子さん
病気の知識がなかったために、統合失調症の母を10年憎んでしまった――。児童精神科医の夏苅(なつかり)郁子さんはそう話します。誰にでもなる可能性がある病気。もし家族がなったら「何をしてあげるかを考えて欲しい」と訴えます。
自分の全て批判する「声」が 統合失調症に苦しんだ日々
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私が10歳の頃、母に統合失調症の症状が出ました。優しかった母が、独り言をぶつぶつ言うようになり、夜になると「腹が立って仕方がない」と、険しい表情で、家中をぐるぐる歩き回るようになった。母が何に怒っているのか、わかりませんでした。母の目にとまらぬよう、布団の中で息を潜め、寝たふりをしました。一番つらかったのは、今思えば病気の症状の一つだったのですが、母が家事をせずに寝ていることがよくあり、それを父が怒鳴りつけることでした。
病気のことを知らなかったので、「親らしいこともせず、なんて母親だ」とか、「母が変わったのは、家庭を顧みない父のせいだ」とか、子どもながらにいろんな解釈をしました。母を10年、憎みました。
昨年、統合失調症と診断された長女を長期監禁して衰弱死させたとして、両親が逮捕される事件が大阪で起きました。事件はまだ十分に解明されていませんが、亡くなった女性が統合失調症だったとすれば、逮捕された親は、子どもの頃の私のように、この病気に無知だったのではないか、と思いました。だから、事件は、私にとって全然、ひとごとではありません。子どもの頃、「お母さんがああなっちゃうのは、脳の病気なんだよ」と誰かが教えてくれていたら、気が少し楽になり、母への接し方も変わっていた。だから知って欲しいのです。
統合失調症は脳の病気で、その原因は、十分に解明されていません。ストレスや、遺伝の影響があるといわれますが、こうした影響が確認できない人が発症することもあると感じます。発症しそうな時に、支えてくれる人に出会えて発症しなかった、などの出会いの「運」も影響すると感じます。
あなたの子どもや孫、配偶者がなるかもしれません。「なったらどうしよう」とおびえるのではなく、病気のことを知って、「なったらどんなことをしてあげるか」を考えて欲しいと思います。
患者さんは、病気によって怖い思いをしている場合が多い。幻覚や妄想は、「おまえは馬鹿だ」などと責められる内容が目立ちます。言動が「普通」と違うように見えても、本人なりの理屈があると感じます。「家族が別人と入れ替わった」という、よくある妄想では、本人に聞くと、家族関係に問題がある場合が少なくありません。「家族が別人のように優しくなってくれたら」との願いが、妄想になっているのです。
病気の知識がないと、家族でさえ、患者さんを「わけがわからない」と思ってしまうかもしれない。家族からも否定されて孤立し、病状が悪化しかねません。
発症した時、使える手立ても知って欲しい。薬や、保健師・精神保健福祉士らへの相談や就労支援、障害年金などがあります。回復の程度は人によって様々ですが、適切な治療で症状を安定させている人、生き生きと暮らす人も少なくありません。公務員として働く人もいます。
身近な病気なのに、「ひとごと」だと思っている人が多い背景に、教育の問題があります。10代後半から20代が発症のピークなのに、日本の義務教育は保健体育で精神疾患を教えていません。私も含めた精神科医療の専門家で、中学の保健体育の教科書に統合失調症などの精神疾患を載せようと活動しています。一番最初に異変に気づくのは、もしかしたら本人かもしれません。「教科書で習ったのって、もしかしたらこれかな?」と。それが最大の予防になると思うのです。(長富由希子)