4人の息子とともに残されたエドラリンさん。手前にあるのが、ケさんがつくった新聞=カタンドゥアネス島、鈴木暁子撮影
世の出来事を追い、市民に広く伝えようとする営みは、ときに権力の不都合な真実を暴き、それゆえに弾圧されることにもなる。世界各地で絶えない記者への迫害の実態を報告する。
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【時系列で追う】記者襲撃、あの夜から
「記者が殺されやすい国」とも言われるフィリピン。NPO「ジャーナリスト保護委員会」によると、1992年以降に殺された記者は79人、世界で4番目に多い。
2016年12月19日朝、中部カタンドゥアネス島の州都ビラクに、2発の銃声が響いた。経営する保険会社の建物前の路上に倒れた男性はラリー・ケさん(当時54)。覆面の男に頭を撃たれ、翌日死亡した。
ケさんは事業のかたわら、タブロイド紙「カタンドゥアネス・ニュース・ナウ」を創刊したばかりだった。1面は島内で摘発された国内最大級の覚醒剤工場の記事。摘発情報が事前に漏れており、カタンドゥアネス州のクア知事が関与しているとケさんは書いた。第2号はケさんが死亡した20日に発行のはずだった。容疑者に知事の元警備関係者が浮上したが逮捕に至っていない。
ケさんのパートナーのエドラリンさん(31)によると、ケさんとクア知事は同級生。その後疎遠になり、対立していた。エドラリンさんは「市民に訴えたいことがあったのだと思う。ラリーは戦士だった」。
ケさんは、16年6月からのド…