小尻知博記者も通った幼稚園で、思い出を語り合う同級生ら=2018年4月27日午後7時16分、広島県呉市、上田幸一撮影
朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)で1987年5月、記者2人が殺傷された事件から3日で31年。亡くなった小尻知博記者(当時29)を知る人たちが思いを語る。今も、ともに――。
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セピア色の幼稚園児たちの集合写真。小尻記者の故郷の広島県呉市に住む平野和之さん(60)は、その中のひとりの姿を懐かしそうに眺めた。
「小尻君は本が好きで、よく図書室に連れて行ってもろうてね」
還暦祝った同窓会に遺影
幼稚園のころからの幼なじみ。中学校時代まで、ともに過ごした。昨年10月にはその中学校時代の同窓会があり、約70人で還暦を祝った。「小尻君も一緒に、人生の節目を」と遺影を飾り、黙禱(もくとう)を捧げた。
参加した平野さんは「小学生のときオードリー・ヘプバーンが出る洋画の話をされて、ちんぷんかんぷんでした」。同級生の小畑博史さん(60)は「田舎の子どもという感じではなく、大人びていた」といい、同窓会長の石川知憲さん(60)も「物静かだった」と、小尻記者の姿がそれぞれの記憶に刻まれている。
事件から31年。遺影の小尻記者は若々しいままだが、事件のとき生後3カ月だった平野さんの長男は31歳となり、小尻記者の没年を超えた。そして平野さんも子を失った小尻記者の両親の心境に思いをはせる年齢に。「小尻君が生きていればどんな人生を送り、同窓会でどんな話をしたんだろうね」と思う。
同窓会では「小尻君に会いに行こう」という話が持ち上がり、有志約20人で20日に阪神支局を訪れる。平野さんは言う。「小尻君は記者の仕事が好きだっただろうから、今も支局で後輩を見守っとりますよ」(川田惇史)
もらった手紙「心の糧」
「ワープロでうったけど、慣れてないのでたっぷり15分はかかってしまった 労作です」。イベント企画業の西田みゆきさん=京都市=は、この手紙を大事にしている。小尻記者が取材へのお礼をワープロで打ち、末尾にこの一文を直筆で書き添えたものだ。
西田さんが取材を受けたのは86年6月。武庫川女子大(兵庫県西宮市)の4年生だった。ジャーナリズム研究会で「当世ガクセイ気質(かたぎ)」と題したアンケートを実施。その発表会を小尻記者が取材し、地域面で記事にした。
西田さんは取材を機に、伝えることの面白さを知り、卒業後は地域紙の記者に。だがその1カ月後に事件が起きた。小尻記者の安否を聞こうと阪神支局に電話すると、涙声で「詳しいことはわかりません」と言われたことを覚えている。
西田さんは1年ほどで記者を辞めたが、今も小尻記者の手紙は「心の糧」という。「地域の声を丹念に拾いあげようとした記者」と、その死を悼んだ。(佐藤秀男)