■成田空港の歴史
成田空港が20日、開港40年を迎えた。激しい反対闘争を経て開港した「日本の玄関」。羽田空港の国際化、格安航空会社(LCC)の台頭、関西空港の躍進、アジアのライバル空港とのハブ(拠点)競争――。時代の変化に、どう対応していくのか。
5月の大型連休。成田空港のLCC専用の第3ターミナルは、スーツケースを持つ人でごった返した。
家族4人で韓国へ向かうという千葉県柏市のバレエ講師池谷玲子さん(36)は「LCCは新幹線に乗るような感覚。飛行機代を抑えられ、ホテルや食事にお金をかけられる」と話した。
成田空港に海外のLCCが初めて就航したのは2008年(国内のLCCは12年)。現在は国内外17社が乗り入れ、運航便数は全旅客便の3割を超える。空港を運営する成田国際空港会社(NAA)は今年4月、第3ターミナルの増築を発表。4年後に完成予定で、現在の2倍となる年間1500万人のLCC利用客の受け入れが可能になる。
1978年5月に開港し、翌年の旅客数は年間895万人だった。02年に3千万人を突破。02年にできた2本目の滑走路は09年に延伸され、発着容量が拡大。米同時多発テロや東日本大震災の影響で旅客は一時落ち込んだが、17年には初めて4千万人を超えた。
そして40年となる今年、成田空港は大きな転換点を迎えた。3本目の滑走路となるC滑走路新設などの機能強化策について、地元の9市町や千葉県が3月に合意したのだ。
滑走路ができれば敷地面積は1…