高校野球への思いを話すとんねるずの石橋貴明さん=2018年5月1日、東京都港区、林紗記撮影
元高校球児として知られるタレントの石橋貴明さん(56)。芸能界きってのスポーツ好きでもあり、高校野球や甲子園に対する情熱は今も変わらない。
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第100回大会だと聞くと、「ああ、俺が神宮球場で悔し涙を流してから39年経ったか」と。球児たちは参加した年の回を覚えていて、何年経ったとすぐ計算できるでしょうね。
帝京高(東京)では控え投手で、ベンチ入りはできませんでした。2年のとき、選抜大会で甲子園練習を手伝うためグラウンドに立ちました。ベンチ前で土をそっとポケットに忍ばせました。野球じゃなくて応援では「帝京に石橋あり」と言われて、「帝京の最後の秘密兵器」が秘密兵器のまま終わったんです。
東京で1番練習していたと思う。暑い中、よく水も飲まずに練習したな。水を飲んじゃダメっていう時代でしたから。3年でベンチに入れないと分かってからは、ただふてくされていました。生徒手帳に「引退まであと何日」と書いて。補欠はつらいですよ。後輩の練習の手伝いばかりでしたから。
高校野球をやり切った感は全くなかった。だけど、1979年の第61回大会の4回戦、最後になった神宮球場の試合でスコアボードが何も書いてない状態に戻っていくのを見ながら、すごく涙が出た。「何でもう少し真面目にやらなかったんだろう」って。
高校卒業後、一度はホテルに就職しましたが、芸能界デビュー後に母校が全国制覇しました。「帝京の野球部出身です」と誇って言えるのは、後輩たちのおかげです。甲子園で優勝するようになったけど、毎年出るわけでもないし、レギュラーになれない3年生もいる。帝京野球部全員でつないできた歴史。誰が偉いとかではなく、部員全員の財産だと思います。
高校野球とは、忘れられない「濃い時間」ですね。あの時間がなかったら、中途半端な人生を送っていたと思う。補欠でも辞めないで続けた、というのが自信になったし、その後の人生に役立ちました。
球児の皆さんには、好きで入った部なら色々な事情があると思うけど3年間やり遂げてほしい。ただ、無理はしないように。自分がいつゲームセットにするか、自分で決めることだから。大事な10代のときにケガをしたら取り返しがつかない。痛いときは痛いというべき。指導者の方にはたくさんナイスゲームを見せてもらいたいですね。
いま、野球の競技人口が減っている。高校野球も以前は加盟校が4千校を超えていたのに、少子化とはいえサッカーに逆転されましたよね。サッカーは小学1年生でも簡単にできる。頭と足でゴールに入れるんだよと言えばいい。でも、野球はルールが難しいし、バットを振る体力もまだない。サッカーは人数を少なくしてもできて、小さな子同士でもできるから、みんなサッカーに行っちゃう。今は公園とかでキャッチボールしちゃいけないとか、特に都会では野球ができる場所がない。ボールやバットに触れる機会を作っていかないと他の競技に子どもを取られてしまいます。
プロやアマ、大学、小中高。野球に携わる全ての世代が話し合う時期に来ていると思う。高校野球という素晴らしい文化が本当になくなってしまうかもしれない。野球の未来について考えるため、まずはみんなで集まりましょうよ。(聞き手・辻健治)
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いしばし・たかあき 1961年東京都生まれ。帝京卒業後、同校サッカー部員だった木梨憲武さんと「とんねるず」を結成、芸能界デビュー。2005年に横浜(現DeNA)のエグゼクティブ・アドバイザーを務めた。今春からフジテレビ系トーク番組「石橋貴明のたいむとんねる」でMCとして出演。