試合前、ベンチ前で肩を組む西野監督(左)ら=関田航撮影
突然の監督就任、不振による向かい風――。ワールドカップ(W杯)で采配をふるう2人目の日本人指揮官、西野朗監督(63)の歩む道は、日本人で初めてW杯を指揮した岡田武史さん(61)のそれと重なる。
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バヒド・ハリルホジッチ前監督の電撃解任により、西野監督が誕生したのは4月9日。慌ただしく過ごしていたある日、携帯電話に素っ気ないメッセージが届いた。
「苦労もあると思いますが、頑張ってください」
わずか2行の文面の送り主は、岡田さん。西野監督が笑いながら言う。「彼からの無言の激励。そうとらえている」
2人は早大サッカー部の先輩と後輩の間柄だ。西野監督がJ1ガ大阪で指揮を執っていた2007年、岡田さんは、急病で倒れたイビチャ・オシム氏の後を継いで自身2度目の日本代表監督に就任した。10年W杯南アフリカ大会の出場は決めたものの、その後は不振が続き、W杯前の親善試合の韓国戦で完敗。当時の日本サッカー協会会長に進退伺をするまでに追い込まれた。
西野監督は当時、岡田さんからたびたび相談を受けていた。「代表チームの状態が上向かずに悩んでいた。でも、何かのきっかけで劇的に変化するのが代表チーム、とも言っていた」。その言葉通り、岡田さんはW杯直前に大胆な戦術と布陣の変更に踏み切り、自国開催以外で初めて決勝トーナメント(16強)に進出する快挙を成し遂げた。
W杯前となれば、多くのチームはメンバーや戦術を固定し、熟練度を上げる作業に入るのが定石だ。ところが、西野監督もまた、型破りな方法でチーム作りに挑んでいる。
「あらゆる可能性を広げたい」とメンバーを固定せず、フォーメーションも試合や時間帯ごとに変化させた。ガーナ戦、スイス戦の2試合は結果も内容も伴わずに敗れたが、W杯前最後の試合となった今月12日のパラグアイ戦では狙い通りに攻守が機能し、4―2で初勝利。「チームの成長を感じる」と手応えを口にした。
岡田さんが任期満了で代表を離れ、西野監督が就任するまでの8年間は、外国人監督が日本代表を束ねてきた。西野監督はいう。「日本人指導者のレベルはJリーグ発足から上がっている。代表を率いることが十分できると思ってきた」。J1史上最多270勝のプライドをかけた勝負が、19日のコロンビア戦で幕を開ける。(清水寿之)