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リーマン、混乱見極められず 08年決定会合議事録公表

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-7-18 15:22:29  点击:  切换到繁體中文

 

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白川方明氏の総裁就任後初の金融政策決定会合=2008年4月30日、日銀本店


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日本銀行の2008年1~6月の金融政策決定会合の議事録が17日公表された。同年9月のリーマン・ショックの「前夜」で、世界的な金融危機の予兆が出つつあった。議事録からは、日銀が世界経済の先行きへの警戒感を強める一方、市場が小康状態となったこともあり、その後の混乱を見極められなかったことがうかがえる。


日銀は年2回、10年経った会合の議事録を半年分ごとに公表している。08年初めまでの日銀は、着実に金融政策の「正常化」を進めていた。06年3月に量的緩和政策を解除し、その後政策金利をゼロから0・25%へ、さらに0・5%へ引き上げた。08年1月22日の決定会合で福井俊彦総裁(当時、以下同じ)は「日本経済が物価安定のもとでの息の長い成長軌道を辿(たど)るのであれば、金利水準を徐々に引き上げていく方向にある」と明言していた。


しかし米国のサブプライム(低所得者向け)住宅ローンの焦げ付き問題が、世界経済に影を落としていた。原油高など原材料価格の高騰で企業の景況感も悪化した。


08年3月には米証券大手ベアー・スターンズが事実上破綻(はたん)。4月9日の会合で水野温氏審議委員は、「商品の流動性がなくなればどんな大きな金融機関でも経営悪化に陥る可能性がある」と指摘。白川方明(まさあき)副総裁も、「原因が仮に海外であったとしても、(日本の金融市場に)どういうことが起こり得るのかというコンティンジェンシー(偶発性)は常に考えておく必要がある」と述べた。


さらに4月30日の会合では、就任したばかりの白川総裁が「不確実性が極めて高い状況のもとで先行きの政策運営についてあらかじめ特定の方向性を持つことは適当ではない」と述べ、利上げへの慎重姿勢に転換した。「短期金利は潜在成長率や物価上昇率との関係からみて極めて低い水準にある」(須田美矢子審議委員)と「利上げ封印」への反対論もあったが、利上げ論は一気にしぼんだ。


とはいえ、市場はいったん小康状態となり、会合での議論は警戒感一色ではなかった。6月13日の会合では白川総裁自らが「大手の金融機関が突然破綻することを指して最悪期とか危機だとか(市場が)言っているように思え、そういう意味でいくと多分、危機、最悪期は去ったのだろうと思う」と発言していた。


「簡単に最悪期を脱したと我々の方から言わない方が良いかという感じが素直にある」(水野氏)、「サドン・デス(突然死)に関しての懸念は若干後退したが、まだ残っている」(西村清彦副総裁)などの意見もあったが、警戒論はやや緩まっていた。1~6月の計7回の決定会合で、政策はすべて全会一致の「現状維持」だった。


この時期の日銀は政治情勢に翻弄(ほんろう)されていた。自民党の福田康夫政権は3月、武藤敏郎副総裁の総裁昇格を国会に提案したが、参院で野党民主党が反対し否決。戦後初めて総裁が一時空席となった。結局、いったん副総裁に就いた白川氏が総裁に。その後も副総裁1人と審議委員1人の空席が続き、10月にようやく副総裁の空席は解消された。(湯地正裕)



河野龍太郎・BNPパリバ証券チーフエコノミストの話


08年3月にはベアー・スターンズが事実上破綻(はたん)したが米金融当局が同社を救済した。白川総裁がその後の(米当局が救済しなかった)リーマン・ショックを予測するのは難しかっただろう。ただ、00年代半ばは日銀の金融緩和で円安が長期化し、電機業界などが国内に過剰設備を抱えた。そのためリーマン・ショックの落ち込みが金融面より実体経済に激しく出た面がある。物価が上がらず、日銀が利上げに動けないまま低金利が長期化するというのは現在の状況と重なる。政策変更が遅れ、利上げしたとたんに世界景気が後退することの繰り返しだ。今回は利上げが1度もできずに景気減速する可能性が高まっている。(聞き手=湯地正裕)


加藤出・東短リサーチチーフエコノミストの話


2008年春の時点で秋のリーマン・ショックを予測するのは難しかった。日銀がとれる対応策も限られていたし、国会のねじれにも翻弄(ほんろう)された厳しい時期だった。ただ、福井総裁時代にもう少し利上げを速く進めていれば、白川総裁もリーマン・ショック後に多少は利下げに機敏に動ける余地が生まれていただろう。利上げはできる時にやっておくべきだが、日銀は為替などを見極めようとして、実際に利上げに踏み切る時には世界経済が失速局面になっている、ということを繰り返してきた。それは今の姿とも重なる。現在の低金利政策のまま、利上げできなくなれば、金融システムなどにも弊害が出てくる。



2008年1~6月前後の日銀を巡る動き


2006年3月~07年2月 量的緩和解除。政策金利は0.5%まで引き上げ


07年8月 仏BNPパリバがファンド凍結(パリバ・ショック)


08年3月 米証券大手ベアー・スターンズが破綻(はたん)、政局混乱で総裁が一時空席


4月 白川方明(まさあき)総裁が就任。展望リポートで従来の利上げ方針を転換


9月 米リーマン・ブラザーズが破綻(リーマン・ショック)


10月 政策金利を0.3%に下げ。12月にはさらに0.1%に下げ




 

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