戦後、国交が途絶えていた中国と交流を重ね、日本との架け橋となった民間人がいた。周恩来元首相から「日中国交正常化の井戸を掘った人物」と評価された岡崎嘉平太(かへいた)氏(1897~1989)だ。平和友好条約締結40年を記念し、その功績を紹介する展示が24日、東京・羽田空港で始まった。
岡崎氏は東京帝国大学(当時)を卒業して日本銀行に入行。退行後は機械や石油化学製品製造会社、全日空の社長を歴任し、日本国際貿易促進協会の常任委員も務めた。
周氏との交流が始まったのは62年。貿易交渉のため中国を訪問した。岡崎氏は化学繊維のプラントを輸出することで技術者の交流を増やし、国交正常化を目指した。周氏と計18回の会談を重ね、民間交流を活性化させた。
周氏は72年、日中国交正常化の共同声明の調印前に岡崎氏を招き、言った。「わが国には、水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない、という言葉がある。中国と日本の国交は間もなく回復するが、そうなるには日本側でも多くの方々が困難に屈せず、大きな努力をされたからです」。ANAホールディングスの伊東信一郎会長によると、岡崎氏はよく「井戸を掘ったのは周氏です」と話していたという。
全日空は87年、岡崎氏の90歳の誕生日に中国との定期便を就航させ、岡崎氏も搭乗した。現在は中国10都市を結ぶまでに広がった。伊東氏は「今後も遺志を継いで、アジアの友好に貢献していきたい」と話す。
「岡崎嘉平太(かへいた)とその時代」(ANAホールディングス、北京の清華大学主催)の展示会場は第2旅客ターミナル3階の「ディスカバリーミュージアム」。岡崎氏の日記やアルバム、名言など120点ほどが展示されている。息子の眞さん(75)=東京都=は「父が人生をかけて、命をかけてやってきたことを知って欲しい」と話す。入場無料で午前11時(土日、祝日は午前10時)~午後6時半。8月20日まで。11月には清華大学でも開催予定。(河崎優子)