8月5日に開幕する第100回全国高校野球選手権記念大会に初出場する三重県立白山(はくさん)高校がある津市白山町が、快挙に沸き立っている。県中西部の山あいにある人口約1万1千人の小さな町。学校周辺の人たちは、急成長を遂げてきた公立校の野球部を、温かく見守ってきた。
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三重大会決勝から2日が過ぎた7月27日、山や田んぼに囲まれた学校は、大勢の報道陣でごった返した。東拓司監督(40)は7台のテレビカメラに囲まれた。
近所の人たちが練習を眺めに来た。「頑張れ」「おめでとう」と次々に声がかかる。森川正美さん(66)は「田舎の普通の子たち。体も細いのに、強豪校の大きな選手と戦うと思うとドキドキします」。
白山町は2006年、「平成の大合併」で津市となった。地域の約7割は森林だ。市中心部からは車で30分以上かかる。地域の人口は約1万1千人。10年前より2千人減った。65歳以上が住民の4割を占め、合併前より1割近く増えた。
学校の最寄り駅はJR名松(めいしょう)線の家城(いえき)駅だが、列車は2時間に1本。四日市市から約2時間かけて通う駒田流星選手(2年)は「周りにはコンビニが一つしか無くて、最初はびっくりした」と振り返る。
市白山総合支所長の武川明広さん(56)は「中山間地域は右肩下がりで衰退傾向。白山高の活躍が一筋の光を与えてくれた」と言う。(甲斐江里子、高木文子)
「息子の甲子園と同じくらいうれしい」
周辺の商店も甲子園出場を伝える号外を店頭に貼り、祝福ムード一色だ。
食堂を営む島田光博さん(71)は白山高OB。優勝が決まると、同級生からの電話が鳴りやまなかった。
息子の万仁さん(46)が1990年の選抜で、三重高の選手として甲子園の土を踏んだ。島田さんは「その時、妻はもらったゼッケンを見て泣いて喜んだ。今回の白山の甲子園出場は、同じくらいうれしい」。
店のある通りはかつて、塩屋、味噌屋、八百屋などが立ち並び、「昼時になると食堂はいつも満席だった」と言う。島田さんが通っていた当時の白山高の全校生徒は千人ほどだったが、今は300人に。それだけに、「こんなビッグニュース、生きている間はもうないかも」と喜ぶ。
高校のそばでクリーニング店を営む畑公之さん(41)は三重大会の全6試合を観戦した。「この田舎が全国区になった」
東監督とは高校時代の同級生。監督が5年前に赴任してから、選手の声やバットの音が店まで響くようになった。畑さんは周囲に笑われても「白山は強くなる」と言い続けてきた。「監督に一番怒られていた選手が成長した姿を見ると涙が出る。甲子園は頑張ってきたご褒美です」
衣料品店の園典子さん(40)は、入り口の黒板に「甲子園おめでとう」というメッセージと、球場の絵を描いた。夫の佳士さん(40)も「町全体で地域おこしをしようとしたが、うまくいかなかった。大人ができなかったことを、子どもがやってくれた」と感慨深げだ。
甲子園決定後、選手へのスポーツ飲料を大量購入。ペットボトルの表面に、客から応援メッセージを書いてもらい、選手に差し入れる。典子さんは「町の皆さんの声を届けたい」と話す。(広部憲太郎)
実習先、筋力強化用にタイヤ寄付
白山高生徒の進路は進学より就職が多く、キャリア教育に力を入れる。3年生は週1回、学校周辺の事業所などで実習を行い、地域との絆を深めている。
辻宏樹主将(3年)は、学校近くのガソリンスタンドで実習に励む。店長の大西康之さん(58)は「まじめでシャイな子。さぼっているのを見たことがない」。青いつなぎ姿で、車の洗浄や側溝の掃除に取り組み、大きな声で「よろしくお願いします!」とあいさつしてくれるという。
大西さんも白山高OBだ。6月には東監督から筋力強化用の古タイヤを頼まれ、6トントラックのタイヤ10本を寄付した。
三重大会前、辻選手から「2学期まで会えませんね」と言われ、「甲子園で会えるだろ」と返した。その言葉通りとなり、「店を休んででも応援に行って校歌を歌いたい」と笑う。
刀根夢斗選手(3年)も自動車整備工場で、洗車や簡単な整備などに取り組む。指導する片岡直也さん(44)は「分からないところは聞くし、きちんと仕事をしてくれる。甲子園も見に行きたい」。
地域に見守られ、つかんだ甲子園。東監督は「色々な人の力がかみ合い、優勝できた。甲子園でたくさんの人に応援してもらえるのがうれしい」と話す。(里見稔)