25日にあった第100回全国高校野球選手権記念三重大会を制したのは、春夏通じて甲子園初出場となる三重県立白山(はくさん)高校(津市白山町)だった。津市中心部から車で30分以上かかる過疎地域にある公立校は以前は部員不足に苦しむほどだったが、監督らを中心に草だらけのグラウンドを一から整備して環境を整えた。「雑草軍団」を束ね、100回目の夏の頂点に駆け上がった。
壮行会で「やめとけ」ヤジ 部員不足だった白山の下克上
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「日本一の下克上を達成できました」。優勝を決めた後のお立ち台で、辻宏樹主将(3年)が叫んだ。チームの歴史を象徴する言葉だった。
白山の創部は1960年で三重大会の戦績はベスト8が最高。特に2007年から16年までは、三重大会での勝利もなかった。
転機になったのは、2013年に赴任した東拓司監督(40)だった。「最初は部員が5人ほど。野球をしたいと思ってきたら、そんな状態ではなく、落ち込んだ」。1年目の三重大会前の壮行会、生徒から「どうせコールド負けだろ」という言葉が飛んだ。登録選手11人で臨んだ最初の夏はコールド負け。同年秋と翌春の大会は、部員不足で他校と連合チームを組むほどだった。
グラウンドは草だらけで、ベンチも小さなものしかなかった。ネットが低く、周囲の水田に落ちた打球をよく拾いに行った。自身も野球少女だった川本牧子部長(40)は「当時は甲子園なんて夢にも思っていなかった」。
ブルペンもマウンドも一から作った。東監督は中学校を回り「野球をやりたい子がいれば白山に来てほしい」と頭を下げ、徐々に選手が増えだした。
東監督は大体大で上原浩治投手(巨人)と一緒にプレーし、教諭になってからは古豪の県立上野高校(伊賀市)で監督を務めた。県内外の強豪などと年150試合以上の練習試合を組み、エアコンの効かないマイクロバスで移動した。
15年夏は敗れたが、コールド負けは免れた。甲子園を決めた現3年生が入学した16年、初戦敗退ながら1―3まで粘った。
辻主将は県内の強豪公立校の入試に落ち、再募集で白山に入学した。「人数も少なくて、ここまで勝てるとは思っていなかった。大変な環境の中、先生たちにはお世話になった」と振り返る。
「甲子園より広い」(東監督)というグラウンドを生かし、打撃強化に重点を置いた。竹バットで芯にボールを当てたり、スローボールを外野に向かって打ち込んだりする練習をした。使える投球マシンもないので、コーチらが投げた。
17年の三重大会で11年ぶりの勝利を挙げて3回戦進出。昨秋と今春の県大会では8強に入り、100回目の夏はダークホースと目された。
今大会、3回戦で第3シードの菰野を4―3で破って勢いに乗り、準々決勝、準決勝も1点差ゲームを制した。大会中でも、試合当日の朝に打撃練習を行い、時には試合後も練習を組んだ。引き締めるだけでなく、選手を近隣のリゾート施設に連れてリラックスもさせた。
決勝の松阪商戦は、五回に6安打を固めて一挙6点を奪い、今春の選抜4強の三重を破った相手を圧倒し、初の頂点に立った。
辻主将は「色々な人に恩返しができた。甲子園は強いチームばかりだけど、日本中に白山旋風を起こしたい」と笑みを浮かべた。
就任6年で「雑草軍団」を頂点に導いた指揮官は「ここまでこられたのは、僕の負けたくない、終わりたくないという気持ちだけだった。選手は一戦一戦力をつけて、僕が一番ドキドキしていた。本当に夢のようです」と目を潤ませた。(甲斐江里子、広部憲太郎)