広島は6日、被爆73年となる「原爆の日」を迎えた。「あの日もこんなに暑かったのかな」「原爆ドーム前に来ると被爆した恩師たちに会えるような気がする」――。被爆地は前日から明け方にかけて、鎮魂の祈りに包まれた。
被爆と被災、重なる思い 8月6日、広島の特別な一日
被爆者は今、核兵器と人類の関係は…核といのちを考える
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あの瞬間に思いはせ(前日の8:15)
5日午前8時15分。1日早い原爆投下時刻に合わせ、投下目標となった広島市中心部の相生橋に20人近くが集まった。あの瞬間に思いをはせ、空を見上げた。
広島市の芸術家グループ「プロジェクト・ナウ!」が主催したイベント「みあげる」。札幌市から参加した大学4年の土門寛治さん(22)は「平成最後の夏にこの場所にいられる。73年前も、こんなに暑かったのかな」と感慨深そうに話した。
相生橋に近い平和記念公園の北端で午後3時、被爆者の土居光子さん(75)が愛知県と沖縄県から訪れた中高生に自身の母の体験を語った。「市電に乗っていると地響きのような音が聞こえ、ガラスがバリバリと割れました。そーっと顔を上げると、黒い制服の運転手の背中が赤黒く染まり、バタッと倒れてきた。頭の先からつま先まで、ガラスが突き刺さっていました」。中高生らは息をのんだ。
同じころ、中満泉・国連軍縮担当上級代表が広島市役所を訪問し、松井一実・広島市長に面会。中満さんは「国連にとって核軍縮はDNAの一部。核軍縮に向けた私たちのコミットメントを確認し、世界に発信したい」と話した。
平和監視時計、投下から2万6663日に(0:00)
午前0時。広島平和記念資料館にある「地球平和監視時計」の数字が静かに切り替わった。「原爆投下からの日数」は「26663」に。被爆から73回目の「8月6日」が始まった。
真夜中の平和記念公園には、若い女性3人がいた。東京都世田谷区の会社員阿部仁美さん(27)は「東京にいると、戦争や原爆について考える機会はあまりない。だからこそ、この時間にこの場所で過ごすことには大きな意味がある」。知人で千葉県いすみ市の翻訳業森川梨江さん(25)は「8月6日に来るのは初めて。深夜の公園と式典の準備を見て、今まで見えなかったものが見えてきた」と話した。
「恩師の先生たちに会いに」(4:00)
午前4時、愛知県から毎年訪れるという横江英樹さん(55)は原爆ドーム前を訪れた。7歳の孫も一緒だ。高校まで暮らした広島では、恩師に被爆者が多かった。いつか分かってくれれば、と孫に原爆の悲惨さを語り継ぎたいと思っている。「ここに来ると先生たちにも会えるような気がする」
空が明るくなり始めた午前5時過ぎ、広島市南区の前原光子さん(79)は原爆死没者慰霊碑近くのベンチに座り、涙ぐんだ。当時6歳。広島県安芸高田市にいて、遠くの空にピカッと光るものを見た。翌日から運ばれてきた負傷者を看病した。死者は、近くの運動場に穴を掘って重ねて焼いていた。「見ていられなかった。原爆の恐ろしさを若い子たちにわかってほしいんよ」
(大瀧哲彰、土屋香乃子、高橋俊成、半田尚子)