6日の平和記念式典には、各都道府県から遺族の代表も参列した。最高齢で沖縄県代表の太田康子さん(91)=沖縄市=は、「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦で自宅を焼かれ、兄も失った。この日は、出稼ぎ中に広島で被爆した夫を悼み、「二度と戦争が起きませんように」と静かに手を合わせた。 被爆と被災、重なる思い 8月6日、広島の特別な一日 被爆者は今、核兵器と人類の関係は…核といのちを考える 【写真特集】ヒロシマ、カメラの証言 原爆投下直後、記者が撮った街は 「機械を動かそうと準備した時に光が走った」。夫の守福(しゅふく)さんは73年前の8月6日、出稼ぎのため広島の工場で旋盤工として働いていた時に被爆。幸いけがはなかった。2013年に91歳で亡くなった守福さんは生前、「川に遺体が浮かび、けが人からは水を求められた」と康子さんに語っていた。 一方、康子さんは、第2次大戦で兄2人と、おい4人を亡くした。 うち兄の一人は、住民や日米両軍合わせて約20万人が亡くなった沖縄戦で米軍の捕虜になり、銃殺されたという。康子さんも、自宅を焼かれ、避難した山にも火を放たれ、逃げ惑った。 約2カ月後、米軍の捕虜となり、収容所で5カ月ほどテント生活を送った。食料は、2、3日に1度、缶詰が与えられるのみ。水田に生えた草も口にし、わずかな食べ物で命をつないだ。ひもじく、みじめな思いは今でも忘れない。 式典は4年ぶりに参列した。康子さんは、市民の代表が原爆死没者慰霊碑に水を供える姿を見て、涙が出たという。「あの日、多くの人が水を求めていたと夫から聞いたことを思い出した」 今回も孫の守史(もりちか)さん(33)が付き添った。康子さんは「もう高齢なので、これが最後だと思う。この場所で、戦争も核兵器もない世界を祈ってほしい」と話していた。(松崎敏朗) |
「参列は最後」91歳の遺族女性、夫が語った「水」の話
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