中国・南京で開催中のバドミントン世界選手権で金メダル2個を含む史上最多の6個のメダルを獲得した日本。なぜ、日本はこれほど強くなったのか。その裏には、日本代表を率いて14年になる韓国人の朴柱奉監督の功績がある。
6月20日、都内のホテルであった国・地域別対抗戦の男子トマス杯、女子ユーバー杯の祝賀会。選手とともにステージに上がった朴監督は手にしたメモをゆっくりと読み上げた。
「みなさんの応援のおかげで、女子は37年ぶりの優勝、男子もヨーロッパ最強のデンマークを破り、準優勝することができました」
決して流暢(りゅうちょう)とは言えない日本語でのあいさつ。ただ、遠藤利明・元五輪相やスポンサー企業の関係者などの来賓を含め、会場にいた200人から大きな拍手を浴びた。
実はその直前、ステージ裏で朴監督は日本バドミントン協会の職員と何度もあいさつ文を読み合わせていた。1週間ほど前から日本語と韓国語で数回書き直し、メモにはあえてハングル文字でふりがなも振った。協会幹部だけでなく、職員にも点検をお願いし、「失礼のないように」「これで大丈夫ですか」と念を入れた。
バルセロナ五輪男子ダブルス金メダリストの肩書を持ち、2004年のアテネ五輪後に監督に就任。14年がたった今も多くの人が集まる会見や祝賀会のあいさつでは入念な準備を怠らない。
「朴さんがなぜ、日本で成功したか。それは細かい気遣いや心配りにあるんです」と協会関係者はいう。
就任後、それまで実業団任せだった日本の強化システムを変えて代表での強化合宿を大幅に増やした。「日本代表に誇りを持ってプレーしていない選手がいた」と朴監督。一流選手を集め、所属の垣根を越えて打ち合う環境を作った。協会にはジュニア選手の海外遠征を促し、桃田賢斗(NTT東日本)や奥原希望(日本ユニシス)ら、世界ジュニア選手権で活躍した選手がそのまま日本の主力へと駆け上がった。
ただ、自らのチーム事情を優先させがちな実業団を説き伏せるのは、並大抵の作業ではない。初めのころは反発もあった。「それでも今は、朴さんの人柄をみんなが認めている」。ある実業団チームの監督は「朴さんが見てくれるから、安心して選手を送り出せる」という。
協会職員や関係者を韓国料理屋に連れて行き、率先して肉を焼く係を買って出る。記者の質問に対しては通訳をつけず、必ず自ら言葉を選び、日本語で答える。選手も、協会職員も、記者も、みんなが親しみを込めて「朴さん」と呼ぶのはその人柄からだ。
12年に李明博大統領(当時)が竹島を訪問し、日韓関係が悪かった時期には「なぜ韓国人監督を使うんだ」という電話が日本バドミントン協会にかかってきたこともあった。だが、リオデジャネイロ五輪で女子ダブルスの高橋礼華、松友美佐紀組(日本ユニシス)が金メダルをとり、昨年の世界選手権では奥原がシングルス史上初の金メダル。着実に成績を残してきた。
14組が出場した03年の世界選手権で8強に入ったのは女子シングルス1人と女子ダブルス2組のみ。ほとんどの選手は3回戦までに敗退した。17組が出場した今回は半分以上の9組が8強まで残った。「ここから東京五輪までにもう一段階あげるのは簡単ではない。でも、目標はもっと上」。指揮官が満足することはなかった。(照屋健)