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傷だらけの球児、やっとたどり着いた甲子園の打席

傷だらけの球児が最終回、最初で最後の甲子園の打席に入った。興南(沖縄)の比嘉龍之介君(3年)。15日の木更津総合(東千葉)との2回戦で代打で出て、凡打に終わった。けがや病気に苦しんだ3年間。親友が託したグラブとともに再起を期した。


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7点差で迎えた九回裏一死。「ひが」。我喜屋優監督がベンチで代打を告げた。背番号7の比嘉君が「やってきたことをしっかり出そう」と打席へ。振り抜いた打球は一塁手の好捕に阻まれた。


沖縄県の旧玉城村出身で、我喜屋監督とは同郷。中学時代は捕手で活躍し、後に沖縄尚学エースとなる左腕投手の球も受けた。


「根っこの部分がしっかりしていればいつかまた花は咲く」。ベンチには我喜屋監督のそんな言葉が張ってあり、興南を志した。


入学後は1年の9月から2度骨折し、肝機能障害も患った。復帰できたのは2年の10月。正捕手の座をつかんだこともあったが、今年の春季大会で送球が不安定になる「イップス」になり、左翼手への転向を言い渡された。


外野手用のグラブを持っていなかったため、親友の平良祐君(同)に「ちょっと貸してくれん?」と頼んだ。元々外野手の平良君は、試合相手の戦力を分析する「情報委員」としてサポート役に回ったばかりだった。沖縄大会中、何度もお礼を言う比嘉君に「ずっと使っていいから、勝って甲子園行けよ」と、大事に使い込んだ薄茶色のグラブを託した。


沖縄大会では11打数4安打と活躍。だが準々決勝の試合前練習で右足すねを疲労骨折した。それでも決勝で三塁打を放ち先制のホームを踏んだが、甲子園ではテーピングと痛み止めがないと歩くのも難しくなった。


この夏は何としてでも出場したかった。50年前の1968年、我喜屋監督は夏の50回大会で、興南の4番打者で主将として出場。県勢初の4強に入り、「興南旋風」と呼ばれた。「100回大会は後輩の自分が中心になって興南旋風を起こしたい」と思っていた。


9日の土浦日大(茨城)との初戦に勝利し、3年ぶりに夏の甲子園1勝を挙げた。自身に出番はなかった。この日、木更津総合に敗退。平良君のグラブを使うことはなかったが、スタンドで見守った平良君は「ガチでがんばったんで、貸してよかった」。


試合後、我喜屋監督は「不本意な野球人生だったろう」と思いやった。それでも比嘉君は前向きだ。「けがをした悔しさを生かしたい」。大学で、今度は投手に挑戦するつもりだ。(宮野拓也)


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