奈良県内の名阪国道に「Ω(オメガ)カーブ」と呼ばれる区間がある。上空から見た形がギリシャ文字の「Ω」を思わせ、実際に走ると急な坂やカーブが連続し、事故も多発。なぜこんな道路になったのか。その背景を探った。
奈良県天理市と奈良市を走る福住インターチェンジ(IC)―天理東ICの山中を走る約10キロの区間。ここがΩカーブだ。近畿と東海をつなぐ大動脈のため、大型トラックや乗用車が行き交い、片側2車線の道路は曲がりくねったカーブが連続。記者が事故が多発する下り車線を走行してみると、遠心力で体が左右に大きく振られた。
「この先下り坂 急カーブ注意」。こんな看板を見るたび、「ずっと急カーブなんだけど……」と言いたくなるほど。この区間の高低差は約400メートルで、自動車専用道路の限界とされる6%の急勾配の下り坂がある。途中のサービスエリアで、ベテランのトラック運転手の男性(47)に話を聞くと、「同僚が事故に巻き込まれた。気を引き締めて運転しているよ」という。
不自然にも思えるその形状。ポイントは「トンネル」と「高度経済成長期」にあった。
三重県亀山市と奈良県天理市を結ぶ名阪国道(総延長約73キロ)は、1963年4月に着工。当時は国内の四輪車の生産台数が飛躍的に増加していた時期だ。日本自動車工業会によると、62年は約99万台。それが63年は約128万台となり、66年には約228万台に達した。
マイカー時代の到来とともに、各地の道路整備も急ピッチで進められた。Ωカーブの区間は、山を迂回(うかい)するルートに。完成は65年12月で、工期の短さから「千日道路」とも呼ばれた。「時間と費用がかかるトンネル工事を避けたのではないか」。国土交通省奈良国道事務所の小林正治副所長は、こう推測する。
名阪国道は、全国の高速道路と…