「第1回選択希望選手」として「荒木雅博」の名前が読み上げられた時には、ドラフト会議が始まって、ずいぶん時間がたっていた。
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1995年11月22日、PL学園(大阪)の福留孝介が注目を集めたドラフトだった。
その福留に7球団の入札があり、抽選を外した巨人と中日の「外れ1位」入札が東海大相模(神奈川)の原俊介捕手で再び競合した。ここでも抽選で敗れた中日が、「外れ外れ1位」として指名したのが荒木だった。
ぼくはテレビ中継のゲスト席にいた。選抜高校野球大会に出場したものの、2回戦で敗れた熊本工の遊撃手は印象に残っておらず、恥ずかしながら、上位指名選手としてはマークしていなかった。
「どんな選手ですか?」とアナウンサーに質問され、しどろもどろになった苦い記憶が残っている。
「上位で指名してもらえるなんて、驚いています。足が震えてしまった」。翌日の朝日新聞に掲載された荒木のコメントだ。全体的に初々しいが、こんな宣言もしている。
「福留君には絶対に負けたくありません」
身体能力の高さに加え、この負…