プロ野球阪神にドラフト6位で入団した湯浅京己(あつき)投手(19)は昨夏、甲子園球場のアルプススタンドにいた。そんな選手が3日、大阪市内であった新入団会見で、縦じまのユニホームに袖を通した。
最新の試合結果はこちら
初々しくプロでの抱負を語った会見で、少しだけ口調が変わったのは本拠となる「聖地」について問われた時だった。「高校時代、チームは甲子園に出場したんですけど、自分は投げられずにすごい悔しい思いをしたので、その時の悔しい気持ちを甲子園でぶつけたいと思っています」。福島・聖光学院高出身。同校は2005年から夏の甲子園に連続出場しているが、最後の夏も湯浅はベンチに入れなかった。
生まれ育ったのは三重県尾鷲市。甲子園常連校の聖光学院にあこがれ、15歳で親元を離れたが、内野手として入学してすぐ腰痛が出て歩くのもやっとだったという。一時はマネジャーを務めた。身長の伸びが落ち着き、痛みも引いた2年秋に復帰する。恵まれた体格を買われ、投手で再出発した。
右腕の球速はぐんぐん伸びた。3年夏の福島大会は背番号18で、3回戦で1イニングだけ登板。チーム内最速の145キロをたたき出した。だが一方で投手の層は厚く、競争も激しかった。ベンチ入りは福島大会の20人が、甲子園では18人に減る。そこで経験の浅い湯浅が涙をのんだ。
甲子園期間中は打撃投手として同行し、試合はスタンドで見た。チームは3回戦で敗れ、悔いばかりだった高校野球が終わった。
卒業後は、給料は少額ながら野球一本の生活を送れる独立リーグを志望した。大学からNPBを目指すのは4年かかる。「独立リーグは高卒1年目からプロに挑戦できるので」。高校の同級生の多くは大学に進む。そこに反骨心がかき立てられた。
BCリーグの富山に入り、ヤクルトで投手として活躍した伊藤智仁監督(48、来季から楽天コーチ)と出会った。巨人を戦力外になったばかりの乾真大投手(29)が同僚にいたのも幸運だった。「伊藤監督、乾さんからトレーニング方法を一から教わりました。そのおかげだと感謝しています」
183センチ、88キロの堂々たる体格になった。そして力むと前に突っ込んでしまうフォームの修正に取り組んだ。マウンドの下から上へ、傾斜を反対に使って投げる練習を繰り返した。夏場からは伊藤監督が付きっきりで見てくれた。リーグ15試合で3勝7敗、防御率5・72と成績はずば抜けていないが、最速151キロまで伸びたことで、スカウトの目に留まった。
同世代のトップといえば日本ハムの清宮幸太郎内野手(19)が挙がる。湯浅は入団会見で、「リーグは違うんですけど、同級生ということもあって対戦してみたいです」と言った。後方で父・栄一さん(47)、母・衣子さん(46)が見つめていた。
満足にプレーできなかった高校時代。湯浅が故郷に帰ろうかと悩んだ時に、支えてくれたのが両親だった。「一人っ子ですけど、中学時代も隣町の硬式チームでやりたがった。昔から自立心はありました」と衣子さん。プロになった湯浅は最初の誓いを立てた。「両親をはじめ、お世話になった方々を喜ばせられる選手になりたい」(伊藤雅哉)