過激派組織「イスラム国」(IS)が破壊したシリアのパルミラ遺跡を昨年12月末に訪ねた。アサド政権軍が奪還して1年9カ月が経つが、中東有数の世界遺産は無残な姿をさらしていた。(パルミラ=其山史晃)
荒涼としたシリア砂漠の中のオアシス都市。それがパルミラだ。
紀元前1世紀にローマの属州となった。その後も自治権を許され、東西交易を結ぶ隊商都市として栄えたものの、支配地域を広げる動きに出たことでローマ軍の攻撃を受け、紀元後273年に滅ぼされた。
その遺跡はヨルダンのペトラ、イランのペルセポリスと並び「中東の3P遺跡」と称される人気観光地だった。内戦では交通の要衝として各勢力の制圧目標となり、市民は近づくことができなくなった。今も遺跡には警備のアサド政権軍兵士を除き、人影が見えない。
パルミラ遺跡で最大規模を誇るベル神殿の本殿は紀元後32年に建てられた。幅約40メートル、奥行き約14メートル、高さ約14メートルあったものが、ISの爆破で石の山に変わり果てていた。1メートル大の石の中には、柱とみられるコリント式の文様が施されたものもある。今は門だけがかろうじて立っている。
ベル神殿から北西に約1キロ離れたバール・シャミン神殿は、雨の神をまつるため2世紀ごろに建てられたが、跡形もない。同時期に建てられ、美しい模様を施された凱旋門(がいせんもん)も、原形をとどめていない。
ローマ式の円形劇場は舞台の中央が崩落していた。ここでISは、捕虜の政権軍兵士25人を少年戦闘員が射殺する様子を映像に撮り、ネット上で流した。
2015年5月にパルミラに侵攻したISは、政権軍が17年3月に制圧するまでの間、遺跡を次々に破壊した。「イスラム教成立以前の遺跡は偶像崇拝者のためのもの」という理由だ。
発掘された遺物を収蔵していた…