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昭和と平成をまたぐ1年の間に、埼玉と東京で幼女が次々消えた。4人をあやめたその男が姿を現したのは、平成最初の夏だった。30年前のあの事件は、社会をどう変えたのか。
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1988(昭和63)年夏。埼玉県警捜査1課の課長補佐だった小沢愛彦(よしひこ)さん(71)は、7月に起きた軽飛行機墜落事故の捜査が一段落し、一息つこうとしていた。「そろそろ夏休みでもとろうか」。そんな8月22日、一報が入った。
入間市の団地の女の子が行方不明になった――。
今野真理ちゃん(当時4)は午後3時ごろ、「友人の家に行く」と言い残して自宅を出た。県警は殺人事件に匹敵する約90人態勢で捜索。小沢さんは聞き込みをする班と捜索班を配置し、誘拐も想定して「被害者宅に約1カ月間、24時間常に捜査員を配置した」。
「同一犯」と直感
10月3日、今度は同県飯能市の吉沢正美ちゃん(当時7)が行方不明になった。2件を関連する事件とみることを疑う声もあった中、捜査1課調査官として現場を指揮していた横沢完治さん(75)は違った。女児の年齢は異なるが、消えたのはともに「偶数月の月曜日」。後に捜査1課長や刑事部長も務める横沢さんの直感は「同一犯」だった。
第3の事件で、それは確信に変…