14日に告示された沖縄県民投票では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画をめぐり、名護市辺野古の埋め立ての是非が問われる。政府が工事を強行する中で、23年ぶりに行われる県民投票。手にした一票に、それぞれが感じる重みは。
県民投票、自民は「盛り上げぬ」 知事は投票チラシ配り
辺野古埋め立てを問う県民投票告示 投開票は24日
米軍嘉手納基地から延びる沖縄市の「コザゲート通り」。米兵向けのバーや商店が連なる中で鍼灸(しんきゅう)院を営む久場良男さん(72)は、心を決めかねている。
戦後まもなく、大阪から引き揚げてきた両親が洋裁店を構えた。米国統治時代、米軍幹部の夫人たちはパーティーのたびにドレスを仕立てに来た。店は25人ほどの縫い子を抱えた。
一方で、米兵による事件事故があっても沖縄には裁く権利がなかった。不満を爆発させた市民が起こした1970年の「コザ暴動」では、実家の近くに焼け焦げた車が転がった。
「基地はない方がいい」と理屈では思いながら、「基地とともに歩んできたこの街や、米軍の友人らの存在を否定することはできない」。
前回96年の県民投票では、「基地の整理縮小」と「日米地位協定の見直し」への賛否が問われた。迷いながら白票を投じた。
今回、辺野古の埋め立てに「反…