ホンダが生産体制と開発体制の再編に踏み切った。19日、英国工場やトルコ工場での生産撤退とともに、二輪事業の開発体制の変更も発表した。研究開発子会社の本田技術研究所(埼玉県和光市)の二輪開発の機能をホンダ本体に統合する。収益面で低迷が続く四輪事業のてこ入れを図る一方で、好調の二輪事業も今後の競争激化を見据え、開発スピードを速める。
「二輪事業全体で一体となり、競争力を高めていく必要がある」。東京都内で開いた記者会見で八郷隆弘社長は二輪事業の組織変更の理由を、こう述べた。
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ホンダはこれまで、経営と技術を分離させる狙いから、研究開発部門を本田技術研究所に集約するという自動車メーカーでは珍しい組織体制をとってきた。ホンダ社内でも技術研の権限は強く、八郷氏が2015年に就任するまでの歴代社長は技術研トップ経験者が占めていたほどだ。
世界一の販売を誇る二輪事業は近年、インドネシアやベトナムを中心にアジアでの販売を伸ばし続け、18年には世界販売が2千万台を超えた。収益性も高く、18年4~12月期の業績では全体の利益の約4割を占めるほど「稼ぎ頭」になっている。
そんな好調の二輪事業の開発体制をわざわざ変えるのは、新興勢力の台頭があるからだ。
八郷社長は会見で「このままでは中国やインドのメーカーに追い抜かれる危機感がある」と説明。これまで小型バイクを中心に販売してきた中国やインド勢が昨今、ホンダが得意としてきた大型や中型バイクの領域にも進出。独立性を保つ研究開発体制では、新興勢力との開発競争で今後、後れをとる可能性があると判断した。
ホンダ本体と技術研は14年に二輪主力工場の熊本製作所で連携を開始。これが機能したため、さらに商品開発のスピードを上げるために、技術研の開発部門をホンダ本体に統合する。
一方、四輪事業の収益性は低いままだ。
背景には、前社長の伊東孝紳氏…