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いま、ようやく自由になったなぁ。政治学者の姜尚中さんが抱く感慨です。転勤族の女の子に抱いた初恋の記憶、日本名から姜尚中を名乗ることを決めたきっかけ、そして亡き母や息子への思い……。今は「日本国籍に切り替える選択もある」とすら考えるようになったそうです。連載「人生の贈りもの」(全15回)をまとめてお届けします。
聞こえる亡き母の声
静かな軽井沢での暮らし。母の声が時折、心の中にこだまする=2019年2月22日、相場郁朗撮影
東日本大震災から8年になりますね。あれから、ぼくの考えも変わりました。
発生からまもない頃、福島県の被災地の村にテレビ番組のリポーターとして取材に行きました。福島第一原発事故の影響で、そこには家はあっても人の気配がありません。でも菫(すみれ)の花が何事もなかったように咲いていました。
それを見て、戦後の終幕だと感じました。ひたむきに豊かさを求め、技術の進歩を追求してきましたが、もはやそんな時代ではない。社会もぼくも変わらねばならん。そう痛感すると、泣けて仕方がありませんでした。
長野・軽井沢に移り住むことを決めたのは、それからしばらくたってです。首都圏のベッドタウンに住んでいましたが、高原に木々が広がる風景に何とも心ひかれるようになった。幼い頃を過ごした熊本の自然と重なる気がして。
《姜さんは妻と一緒に土を耕し、敷地の隅に菜園を設けた。キュウリやナス、ミニトマトなど季節の野菜を育て、春には裏庭のタラの芽などを食す。6年ほど前から、そんな日々を過ごす》
高原の中に身を置いていると、風の音や鳥の声が実に心地いいんです。若くして世を去った息子の面影を感じます。あの子も自然を大切にしていました。亡き母の声がふっと聞こえてきます。
「どんなことでも、なんとかなるとよ」
母はまだ10代で朝鮮半島から…