大阪府知事・市長のダブル選(7日投開票)で最大の争点になっている「大阪都構想」。2015年の住民投票で反対多数となり、一度は廃案となったが、2度目の住民投票に向けて議論が続いている。前回と比べて何がどう変わり、議論はどこまで進んだのか。
出直しダブル選・住民投票…大阪都構想の行方は
都構想は、大阪市をなくして東京23区のような特別区に再編する制度改革だ。12年に国会で大都市地域特別区設置法が成立。法律上、あらたな特別区の設置が可能になった。
ただ、都構想案を話し合う法定協議会(法定協)の設置、都構想案の作成、府市議会での採決など、いくつかのハードルがある。15年5月、様々な手続き=図参照=を経て、都構想案の是非を問う住民投票が実施された。大阪市内の有権者が対象で、結果は僅差(きんさ)で反対多数だった。
都構想を推進してきた大阪維新の会は「再挑戦」を掲げ、同年11月の府知事・大阪市長ダブル選で勝利。公明党の協力を得て17年6月に再び法定協を設置した。法定協では、新たな区割り案から議論し、初期費用や財政収支の推計をもとに、維新主導で4区案に絞った。
初期費用の推計は庁舎を借りるか建てるかで異なるが、311億~558億円。4特別区全体で移行後6、7年目に歳出超過になる可能性があるが、その後は黒字が続くという。
だが、他会派からは「(特別区については)もはや議論する必要はない」(自民党)、「特別区の設置そのものに反対だ」(共産党)との声も根強い。
住民投票の実施には法定協と府・市両議会で過半数の賛成が不可欠で、いずれも足りない維新は公明に協力を要請。交渉は決裂して、統一地方選に突入した。都構想案をとりまとめるには職員の配置や区役所の位置などの設計も必要だが、議論はストップした。
賛成派と反対派が応酬
3日、大阪市内。都構想推進派の首長候補は街頭演説で「府・市一体で大阪の成長に取り組み、うまくいっている状況を続けていきましょう」と訴えた。これに対し、都構想反対派の首長候補は同日の民放番組に出演し、こう指摘した。「都構想は東京都を劣化したような制度で、大阪に取り入れる必要はない」
15年の都構想案と今回の案の違いは何か。最も顕著なのは、特別区の区割りだ。
15年案は大阪市を「北区」「湾岸区」「東区」「南区」「中央区」の5特別区に分割する方針だった。今回軸になっている4区案の区名は「東西区または淀川区」「北区」「中央区」「南区または天王寺区」が検討されている。
また、15年案では私立幼稚園の設置認可は府が担当する事務だったが、今回案では特別区の担当になった。15年案で特別区への再編が「地域のつながりが失われる」と批判されたことにも対応。24行政区を「地域自治区」とし、住民の意見を聴く地域協議会を開くことが盛り込まれた。
ただ、15年案も今回も、インフラ整備や成長戦略などを府に一本化して「二重行政の解消」を目指すという都構想の目的は同じだ。福祉や教育など住民に身近な行政サービスを独自の予算編成権を持つ特別区が担い、区長や区議を住民が選挙で選ぶという大枠は変わっていない。
公明が主張する「総合区」
都構想の対案として公明が主張するのが、大阪市を残したまま区の権限を強める「総合区」制度だ。法定協で示された素案では、現在の24区を八つに再編し、市立保育所の運営などを区に委ねる。ただ議論は深まっていない。
維新は、次の住民投票で都構想案が再び反対多数で廃案となった場合、総合区案を進めるとしている。
ただ、総合区の議論もすんなり行くとは限らない。自民は総合区には賛成だが、公明案の区割りについては慎重。市議団幹部は「8区ありきではない。総合区導入が決まった後に話し合うべきだ」と話す。共産党も「8総合区案には絶対反対。行政の都合で勝手に決めた枠組みだ」としている。(吉川喬、楢崎貴司)
大阪都構想と大阪府知事・大阪市長のダブル選の歴史
2010年 4月 都構想を主張する橋下徹・大阪府知事(当時)が大阪維新の会を結成
11年11月 大阪府知事・大阪市長ダブル選で維新が勝利
12年 8月 大都市地域特別区設置法が成立
13年 2月 都構想案を作る法定協議会が初会合
14年 3月 橋下氏が出直し大阪市長選で再選
15年 5月 住民投票で都構想案が反対多数
11月 都構想再挑戦を掲げた維新が知事・市長選で勝利
17年 6月 2回目の法定協設置
19年 3月 法定協で維新、公明が決裂。知事・市長が辞職表明。知事・市長のポストを入れ替える「クロス選」に
4月7日 知事・市長選と府議選、市議選の4重選挙が投開票