天皇、皇后両陛下は10日、結婚60年を迎える。まもなく退位を迎えるお二人に、同世代の人たちが思いを語った。
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寄り添いを実感
両陛下が結婚50年を迎えた2009年、同じく50周年を迎えた全国の101組の夫婦が皇居に招かれた。沖縄・伊江島の島袋清徳(せいとく)さん(81)と美智子さん(82)夫妻もその1組だ。
「沖縄は先の大戦で大変ご苦労されましたね」
茶会の席上、天皇陛下は清徳さんにこう声をかけ、皇后さまは美智子さんに「その後、癒やされましたか」と話しかけた。
太平洋戦争末期の沖縄戦。米軍は旧日本軍の飛行場があった伊江島に上陸、住民約1500人が犠牲になった。住宅は米軍のブルドーザーでつぶされ、サトウキビ畑は基地となった。土を耕せば人骨ばかり。「豊かな島が無になった」と感じた。
清徳さんは高校卒業後に村の職員になり、1959年に同僚の美智子さんと結婚。3人の子どもに恵まれた。天皇陛下が皇太子時代に初めて島を訪れた76年は、船舶課長としてフェリーの改造を担った。来島後、島を見下ろす城山(ぐすくやま)のふもとに記念碑と天皇陛下が詠んだ琉歌の碑を建てることになったが、一部の島民が反対した。「戦争で『捨て石にされた』という感情がまだ残っていた」
天皇陛下が即位した89年に村長になった。振興策と引き換えに米軍戦闘機の訓練場を受け入れ、パラシュート降下訓練も認めた。反対する島民から投石や脅迫電話が相次ぎ、妻からは「生きた心地がしない。辞めて欲しい」と懇願された。村長を退任する直前の2005年、妻は自宅で倒れ、心臓の手術を受けた。
そんな苦労に、両陛下は寄り添ってくれたと感じている。皇太子時代から11回訪れ、県民に会えば必ず戦争に言及した。
4月末、島は村花のテッポウユ…