葛飾北斎の「宝永山出現」の一部(右上)。宙を舞う人たちが描かれている=静岡県立中央図書館所蔵
[PR]
江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎(かつしかほくさい、1760~1849)の「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」は欧米など海外でも有名だ。中でも「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は、「グレートウェーブ」と呼ばれる荒波の向こう側に雪をかぶった富士山がみえる構図で、ファンの心を魅了する。最近、日本の新しい千円札の絵柄にも登場することが決まった。
葛飾北斎の「宝永山出現」の一部(左下)。降り注ぐ火山礫(れき)から逃げまどう人たちが描かれている=静岡県立中央図書館所蔵
その北斎が、富士山の噴火を描いていることはあまり知られていないだろう。
「富嶽百景」という作品集の中に、「宝永(ほうえい)山出現」と名付けられた浮世絵がそれだ。
葛飾北斎の「宝永山出現」の一部(右下)。全壊した建物に押しつぶされた人や、お年寄りをおんぶしたり、赤ちゃんを抱き、女性とみられる人を連れて逃げたりする人たちが描かれている=静岡県立中央図書館所蔵
降り注ぐ岩、崩れ落ちた家屋、下敷きになった馬、人までもが宙を舞い、なすすべもなく逃げ惑う人たち――。宝永4(1707)年の富士山の噴火(宝永噴火)の様子を描いたものとされる。天から降ってくる大量の火山礫(れき)や、全壊した建物に押しつぶされた人、逃げ惑う人たちの姿がそこにあった。
当時は売り物になりにくかったという災害の絵図を、北斎が描いた理由とは。後半では、本の見開きとなった絵図の全体像も紹介します。
北斎といえば、静かで穏やかな…