2007年4月に長崎市の伊藤一長(いっちょう)・前市長(当時61)が選挙運動中に銃撃され死亡した事件から、17日で12年を迎えた。JR長崎駅近くの現場に市が献花台を置くのは、十三回忌の今年が最後。そこには、一長さんの義姉の姿もあった。
一長さんが好きだったというヒマワリが供えられた献花台に、伊藤矩爾子(くにこ)さん(82)=長崎市=は、一長さんの母が好きだった白いユリの花を手向けた。「明るい色ばかりにならないようにと思って」
山口から一長さんの兄に嫁いだ矩爾子さん。「ねえちゃんがきた」と言った年の離れた当時小学6年の弟をよく覚えている。
中学生のころ、一長さんが同級生に「カバン持ち」をさせて家に帰ってきたことがあった。「若いくせに生意気な。いい加減にしなさい」と、叱り飛ばした。
そのころから「僕、長崎を良くしたいんだ」「大物になるけん」と口にしていた。
35年以上が過ぎたある朝。長崎市長に初当選した弟から電話があった。家にきてほしい、と言われて向かうと、黒塗りの車とお付きの職員たちがいた。
「初登庁の姿を見せたかったんでしょう。私が言ったことをずっと覚えているんだから。きまじめだけど、冗談も好きな子でね」
2007年4月17日夜。4選をめざした市長選の遊説先から事務所に戻る途中、暴力団幹部の男に銃撃された。矩爾子さんは市長選の時期になると病院に走ったあの日も思い出す。
毎年献花しているが、これまで人前で弟の話をするのは避けてきた。悲しみを人に押しつけることはないとの思いからだ。一方で時がたち、忘れられてしまうのではと不安も募る。
市長になってからも、時折話した弟。小さな文字で埋められた大きな手帳、そして疲れ切った顔をよく覚えている。「立派な人だった。ずっと覚えていてほしい」。矩爾子さんはそう話し、じっと手を合わせた。(横山輝)
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伊藤矩爾子さんは十三回忌を前に朝日新聞に投書しています。4月1日付で掲載(一部地域)された投書は以下のとおり。
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62年前、兄嫁として山口県から長崎県に来た私に「女が来た」と、当時6年生だった彼は大歓迎してくれた。
中学生になると、帰宅時に台所で多忙な私に「僕、長崎を良くしたいんだ」、また「僕、大物になるけん」と背後から声をかけてきた。反応のない私に、床をたたきながら「聞いているか」と顔を赤くして怒っていた。
29歳で市の職員を辞め、政治の道へと彼は歩き出した。
道を行き交う4、5歳の幼子にも「大きくなったら『イトウ』を応援してね」としゃがみ込み、握手していた。
それから、彼は市議、県議、市長と坂道を駆けのぼっていった。
時折出会うと、交わす言葉もなく、バッグの中から大きな手帳を取り出してめくり、小さな活字の詰まったページを見せながら、驚く私に疲れきった顔を見せた。
365日、昼夜歩き、走り続けた彼。平成19年4月17日、凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。
「もう頑張らないでー」と、涙と共に絶叫したあの日から、十三回忌を迎えようとしている。
長崎市
伊藤 矩爾子(くにこ)
主婦 82歳