前回の改元時、元号と同じ表記で一躍脚光を浴びた関市の平成(へなり)地区。平成最後の日、近くの「道の駅平成」は、30年前に戻ったかのようなにぎわいを見せた。改元後、交流を深めてきた女優の三田佳子さんも訪れ、過ぎゆく平成を懐かしんだ。
道の駅周辺は大渋滞。平成最後の消印や記念切符を求める人の行列ができた。平成地区の「ただの空気」を詰めた缶詰は完売。近くの会社員丹羽憲章さん(46)は「このにぎわいが続いてくれたら」と話した。
平成地区の住民も去りゆく時代との別れを惜しんだ。田畑和義さん(64)は「やっぱりさみしい」。三輪一雄さん(69)は「平成が終わっても平成地区は残る。これからも頑張る」と自分に言い聞かせるように話した。
30年前のフィーバーの中で旧武儀町は、竹下登内閣のふるさと創生1億円の一部を使って、平成地区に「元号橋」をかけた。当時、渡り初めをしたのは女優の三田佳子さん。平成が最後を迎えたこの日、道の駅近くの池に、「平成から令和への架け橋」という意味を込めて架けた橋を、再び、渡り初めした。
三田さんは1991年に日本平成村の村長になり、官房長官時代に元号を発表し「平成おじさん」と呼ばれた小渕恵三元首相や梶原拓前知事(いずれも故人)らと立村式に参加するなど地元と交流を深めてきた。
三田さんは「昭和、平成、令和。長く生きていろんなことがあったけれど、生きていくことは素敵なことだと橋を渡りながらしみじみ感じた」と語った。
立村式で「私たちの村長になってください」と手紙を読んだ当時中学生の横井満寿美さん(41)と、シイタケを贈った当時保育園児の三輪祐一郎さん(34)とも再会。すっかり大人になった2人を見て「これだけの年月が経っているんですね」と感慨深げに話し、三輪さんの子どもを抱いた。
三田さんは「令和の時代も一生懸命生き抜いていきたい。女優としていい仕事をして、前のようにたくさんのことはできないかも知れないけれど、一つ一つ命をかけて丁寧にいい仕事をしてみなさんにお返しをしていきたい」と話した。(山野拓郎)