子役で数舞台出た後は、13年半もの長きにわたり歌舞伎から離れた中村扇雀さん。再び舞台に戻ったものの、周りについていくだけで精いっぱいだった若き日に、道を開いてくれたのは、中村勘九郎さん――後の勘三郎さんの言葉でした。
梨園(りえん)の御曹司に生まれたが、母の教育方針もあって6歳の初舞台の2年後から歌舞伎を完全に離れ、学業に専念。大学を卒業し、再び舞台に戻った時には22歳になっていた。
「同世代の役者は10代でたっぷり経験を積んでいる。はるか昔に子役を数回務めただけで初舞台同然の僕は、歌舞伎の化粧すら自分でできず、恥ずかしくてたまらなかった」
日本舞踊、長唄、三味線。必死で稽古し、夜を明かしたが追いつけるものではない。「皆がプロ野球選手なら僕は小学校の野球部以下だ」。覚えた台詞(せりふ)をひたすら言い、動き、幕が閉まる。他の役者を邪魔せぬように、客席から「なんだこいつ」と思われぬように。喜びも楽しみもなく、ただそれだけを念じていた。
当時は勘九郎だった十八代目中村勘三郎さんに、今はなき大阪・中座での芝居に呼んでもらったのは、そんな26歳のころ。長谷川伸の「檻(おり)」で、勘三郎さん演じる酒乱の夫を案じる女房の役に謎の大抜擢(ばってき)。とはいえ、うまくできるわけもない。
責任を感じたのか、勘三郎さんは開幕後も連日稽古してくれた。「へったくそ、違うんだよ」と言いながら。最後はきまって「しょうがねえな、メシ行くぞ」。酒を飲み、尽きぬ芝居の話をして。毎日、あきれるほど一緒に過ごした。
20日目。幕が閉まると勘三郎…