桂米朝、桂枝雀という落語界のレジェンドが昭和に大阪・サンケイホールで開いた1日3席の6日間独演会「十八番」。令和の世に米朝の孫弟子で桂吉朝門下の桂吉弥がサンケイホールブリーゼ(大阪市北区)で挑んだ。「吉弥十八番」(5月21~26日)の楽日を見た。
高座に上がるや、スローイングのしぐさに観客がざわつく。キャッチボールで始まる「にょろにょろ」。6年前の巳(み)年に初演した自作で、前年に急逝した中村勘三郎の長男勘九郎の姿と、洋食屋の父のオムライスを受け継ごうとする主人公を重ね合わせる。展開は唐突だが、勘三郎への万感の思いを込めた勘九郎の口上の再現は見事の一言。顔色をうかがわず客を向いて気持ちを込めて、と主人公を諭す父の懐の深さが胸に染みた。
1席目を終えて吉弥が袖の楽屋のれんをくぐった後、上手と下手の2・7メートル四方のパネルがつり上げられていく。すると、下手には床几(しょうぎ)に座る三味線奏者と鳴り物担当の噺家(はなしか)たち。米朝、そして吉朝の出囃子(でばやし)を奏でる。上手では吉弥が弟子に手伝われて着替え中。舞台裏を明かす仕掛けで驚かせ、準備が整うと下座の顔ぶれを紹介して「蛸(たこ)芝居」に入った。力み過ぎず軽やかな吉弥の動き。下手から凝視する奏者らの真剣なまなざしが、華やかな芝居噺を支える演者と下座の呼吸の繊細さを伝えた。
中入り後は「住吉駕籠(かご)…