名古屋・栄にあった老舗百貨店の丸栄が閉店して、1年が過ぎた。元社員らの歩みは人それぞれ。建物は新しい商業施設の建設に向けて解体が進んでいる。
「丸栄が好き」「閉店の悲しみ埋めたい」
「ありがとう丸栄。僕は本当にこの会社が好きだった。愛というより恋なのだ」――。美術担当の社員だった山田英樹さん(52)は閉店直後、ツイッターで惜別の情を吐露した。「長年連れ添った恋人と別れた感じに近いかな」
美術品の収集力と審美眼の高さで知られた丸栄。山田さんはその分野で10年余り働いた。「20世紀最後の巨匠」と呼ばれたフランス出身の画家、バルテュス(1908~2001)の油絵やムンクの絵画の買い付けを仲介した。
「この仕事しかない」。美術担当として昨秋、名古屋三越に入った。地元の作家にとって、丸栄は百貨店で個展を開ける貴重な場だった。三越は他店も巡回する作品展が多く、作家の個展開催はハードルが高い。「でも、全国に売り込むチャンス。地元の作品を広める橋渡し役になりたい」
山田さんと同期入社だった服部勝次さん(51)=元商品政策課長=は、昨年7月21日から和菓子販売会社「宗家源吉兆庵(そうけみなもときっちょうあん)」の名古屋営業部で働き出した。丸栄は勤続28年。「少しでも早く働いて閉店の悲しみを埋めたかった。くよくよする時間をなくしたかった」。得意先に商品を納め、人手の足らない店に応援に入る。
丸栄は99年、東京・渋谷のギャル系ファッションを採り入れた「ギャル栄(エイ)路線」にかじを切った。服部さんは15年以上、ブランド誘致やテナントの売り上げ管理を担った。「移り変わりの激しい流行を勉強できた。人気店を口説き落とし、誘致できたときはうれしかった」
小売業での経験を生かそうと転職したが、畑違いの仕事は難しい。30種類以上ある商品は賞味期限がそれぞれ異なり、在庫管理と陳列が一筋縄ではいかない。「過去を振り返っても仕方ない」。仕事に打ち込み、今年4月、マネジャーに昇格した。
「閉店したことが信じられない」。杉本日左江さん(78)は、地下食品売り場にあった精肉店「肉の杉本」で半世紀以上、店に立ち続けた。今も朝起きると、店員が遅刻しないか心配になる。閉店したことを思い出すと我に返るという。「お客さんと話すのが楽しかった」。今は、地下鉄伏見駅(名古屋市中区)近くにある杉本のレストランで働く。「50年ぶりのゆっくりした生活。体がなまっちゃう」。もう少し、店に立つつもりだ。
従業員たち、店舗のタイル画…次の道は
丸栄は松坂屋、名鉄百貨店、名古屋三越とあわせて「4M」と呼ばれた地元百貨店だった。売上高は92年2月期に過去最高の825億円に達し、ピーク時にはパートを含め従業員が1500人ほどいた。しかし、バブル崩壊後の長引く消費低迷によって売り上げが減少。閉店時の従業員は250人ほどだった。
多くの社員が退職し、他の百貨店、食品会社、運送会社などに移った。仕事になじめず辞める人や、就職先が決まらない人も少なからずいる。「昔の同僚に会っても次の仕事が決まっているか分からず、気まずい。話しかけるのをためらう」と話す元社員も。今は40人が会社に残り、ビルの管理や外商の営業を続けている。
建物は解体工事中だ。親会社の興和は20年末ごろ、「食」をテーマとした商業施設を開業させる。保存を求める声のあった外壁タイル画の一部は「INAXライブミュージアム」(愛知県常滑市)と「多治見市モザイクタイルミュージアム」(岐阜県多治見市)で展示に向けた準備が進む。興和の三輪芳弘社長は「残ったタイル画の一部は、新施設につながる地下通路に展示したい」と話す。(石塚大樹)
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〈丸栄〉 名古屋市中区の広小路通沿いにあった百貨店。6月30日で閉店してから1年となった。1615年創業の呉服屋「十一屋」が前身で、1943年に百貨店の三星と合併してできた。社名には「栄で丸く栄える」という意味が込められた。53年に建てられた本館は日本建築学会賞の作品賞を全国の百貨店の中で唯一受賞。軟式野球部は全国レベルの強豪として知られた。