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最後の夏「大声で校歌を」少子化で57年の歴史に幕

今年度末で閉校する西都商は最後の夏を迎える。5月末、5人だった野球部にバドミントン部やソフトテニス部などから5人が加わり、メンバーがそろった。


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1963年4月、妻高校商業科から分離独立して新設され、野球部もできた。2001年夏の宮崎大会では、寺原隼人投手を擁して甲子園に進んだ日南学園と準々決勝で対戦。10年の秋季県大会では準優勝して九州大会に進出した。


しかし、少子化などで定員割れするようになり、県教委は15年秋、妻との統合を決定。18年4月、3学科7学級の(新)妻が設立され、妻、西都商の新入生募集は停止に。今年度の西都商は3年生66人のみだ。


昨秋と春の県大会は妻・(新)妻と連合を組んだ。しかし、約50人の部員がいる妻・(新)妻と組んで西都商からベンチ入りできたのは2人だった。


秋の大会が終わった後、部員5人で話し合い、「夏は単独チームで出よう」と決めていた。先輩たちと戦った昨夏の宮崎大会では5年ぶりに初戦勝利し、校歌を球場に響かせた。橋口奏楽(そら)主将は「OBや先生、地域の人たちに本当に喜んでもらえた」と振り返る。


新チームは県高校総体の開会式から3日後の5月28日に結成。翌日、他部からの「助っ人」たちは初練習に臨み外野フライの捕球など基本練習を繰り返した。


バドミントン部だった岩切聖清(まさきよ)君は中学時代に野球部だった。硬式球は初めてだが「ゴロやフライなどを確実に捕球したい」と意気込む。高2までソフトテニスをしていた長峰岳君は「野球部は皆すごい頑張り屋。微力ながら手助けしたかった」。


1年生のときサッカー部に転部した竹内力紀雄君も野球部に戻り、久しぶりに内野で佐々木典彦監督のノックを受けた。連係プレーの練習に汗を流し、「残り少ない練習で皆のレベルに追い付きたい」と息を弾ませた。


約1カ月の練習を経て、主に外野を守る助っ人たちはフライの落下点に素早く入り、ランニングキャッチもできるようになった。しかし、両翼の長打への対応は不安が残る。投手として登板する可能性もある橋口主将は「なんとか内野で打ち取りたい」と話す。


学校の体育館には、閉校スローガン「芝つゆ未来光らせ 57年の思いを胸に」と太字で書かれた横断幕が掲げられている。学校によると、「芝つゆ」は校歌の歌詞にも盛り込まれていて、生徒一人ひとりを指すという。


野球部の夏の目標は「夏1勝、最後の校歌を大声で歌う」だ。(菊地洋行)


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