つい10カ月ほど前はどん底だった。選手を諦めようとさえ思った。
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新チームで初めて臨む秋季県大会。千葉学芸(千葉県東金市)の投手・鎌田(かまだ)稜(りょう)君(3年)は昨年9月のメンバー発表で、ベンチに入れなかった。2年生9人で自分だけ。
その夜、自宅で夕食後、母親に漏らした。「ベンチに入りたい。記録員でもいいから」
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女子校から男女共学になったのは2000年。男子の部活はできて間もなく、1年の夏に3年が引退すると野球部員は2年5人を含め14人に。選手集めにも苦労し、ベンチ入りするのは当たり前だった。
同じ学年で投手は自分しかいない。でも、登板の機会は多くなかった。球速は100キロ前後。遅いうえ、制球が定まらない。出場は徐々に減っていった。「悩むほどフォームは崩れ、野球をするのがつらかった」
一方でチームは急成長した。1年秋の県大会初戦では強豪専大松戸に逆転勝ちした。2年の春には入部希望者が急増。約30人が入り、球が速く、制球力のある1年もいた。「ポジションを取られるんじゃないか」。部員が増えてうれしい半面、怖かった。
夏に3年が引退し、最上級生になっても先発することはほとんどなかった。昨年の秋季県大会の地区予選。後輩が先発し、中継ぎとしてマウンドに立ったが、安打を浴び、四球を出した。1イニングも抑えられずに降板。県大会はベンチを外れた。
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「諦めるの早いんじゃない」。選手をやめたいと打ち明けたあの日の夜、母親の声は少し怒っていた。表情は悲しそうにも。
部屋に一人で閉じこもると、悔しくて涙が出てきた。入部してから一度も公式戦で活躍していない。
母親は看護師として働きながら、毎朝4時すぎに起き、自分のために3食分の弁当を作る。泥だらけのユニホームも毎日、洗ってくれる。公式戦の朝は、学校で調整する選手のために、ほかの保護者と豚汁やご飯を作った。
どんな気持ちで早起きし、支えてくれたのだろう。このまま諦めたら後悔する。やりきっていないんじゃないか――。
下半身を鍛えようと、週3日だった坂道ダッシュを毎日やるようになった。筋肉を鍛え直すため、体幹トレーニングを取り入れ、バーベルを背負ってのスクワットを繰り返した。投げ込む数も増やした。
広田玲二(れいじ)主将(3年)は言う。「毎朝6時半ごろに来て自主練をしていた。自分に厳しく、周りのピッチャーも一層努力するようになった」
ひと冬を越えると、体重は6キロ増え、球速は130キロまで伸びた。練習試合で三振がとれるようになり、失点が減った。
3年になった今春の県大会では背番号10をつけた。3回戦の日の朝、公式戦で初めてとなる先発を監督に言い渡された。驚いたが、気持ちは高ぶった。「成長した姿を見せたい」。スタンドには両親もいた。
必死に投げ、試合のことはあまり覚えていない。ただ、まっさらなマウンドの土は軟らかく、そこに立った時の感覚は今も残っている。「気持ちがよかった」。試合は仲間の守備にも支えられ、被安打2で完封勝利。大会では4試合のうち3試合に登板し、初の8強入りに貢献した。
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部員はいま、約70人に増えた。夏の大会でベンチ入りできるのは20人。諦めずはい上がった姿は、ベンチに入れない後輩たちの背中を後押ししている。
高倉伸介(しんすけ)監督(44)はそばで見守っていた。「腐らずに毎日懸命に練習し、よくやったなと思う。今は二枚看板のひとり」
最後の夏はもうすぐ。鎌田君は「目標の甲子園に行けるよう、マウンドで活躍してチームに貢献したい」。初めて背番号1をつけ、チームを引っ張る。(小木雄太)