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養護施設で暮らす4番打者 異例の入部、亡き「母」胸に

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2019-7-11 11:10:38  点击:  切换到繁體中文

 

「高校の野球部に入りたいです」


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2年近く前の9月下旬、千葉県内の児童養護施設。成田西陵の佐々木直人(なおと)君(3年)は事務室で年配の女性副園長と向き合っていた。驚いた表情の副園長は、話し合うから少し待っていてほしい、と応じた。


事情があって家族と暮らせない子どもたちが集まる児童養護施設。助っ人で高校野球の試合に出た先輩はいた。でも入部した話は聞いたことがない。そんな中での「お願い」だった。


両親が離婚し、5歳から施設で暮らす。小学生から高校生までの男子約20人が入る施設の軟式野球チームでずっとプレーしてきた。


中1、2の時は県内にある施設6チームの球技大会で、左腕エースとして活躍し2年連続優勝。中3の大会後、主将に選ばれた。


成田西陵に進学すると、野球部のグラウンドに何度も足を運んだ。でも入部届は出さなかった。「施設の野球を中途半端にしたくないので」。誘われても断った。それでも抑えきれない気持ちがあった。高校野球に挑戦してみたい――



2015年夏、テレビで見た甲子園の決勝が頭に残っている。東海大相模のエースで、後にプロ野球の中日に入団した小笠原慎之介選手が1人で投げながら、最終回に勝ち越し本塁打を放った。鳥肌が立った。「どれだけ自分の実力が通用するのか、試したい」


しかし、硬式野球の道具をそろえ、チームのユニホームやバッグ、部費、遠征費も必要になってくる。言い出せなかった。


高1の夏、施設のチームを主将として優勝に導き、踏ん切りがついた。「お金は社会人になって働いてから返そう」。悩んだ末に決め、副園長のいる事務室のドアをたたいていた。


その「お願い」から数日たった夕食後、呼ばれて事務室へ。副園長の言葉は「今まで頑張ってきたからこそ、できるだけ応援するわ」。すぐに同じ部屋の友人に伝えた。


早く部活がやりたかった。翌朝は普段より早く目が覚め、野球の道具をバッグに詰め込んだ。中西威史(たけし)監督(53)に伝えると、笑顔で迎えてくれた。「待ってたよ」。入学から半年遅れの入部。その日からチームの輪に加わった。


初めはチームの戦術を覚えるのに苦労した。施設の野球であまり使わないサインプレー、守備の作戦……。「それでも楽しかった」。日が暮れるまでボールを追った。監督の助言を復習しながら、毎日バットを振った。間もなく5番打者を任された。


バッグや交通費などは将来に向けて積み立てていた貯金を崩し、副園長が一部を肩代わりしてくれた。


肩を壊し一塁手になったが、投球練習も続けていた。今年の正月、離れて暮らす父親と過ごした時のことだ。投手をあきらめていないことを打ち明けると、父親は「ピッチャーグラブを買いに行くか」。その後、練習試合でマウンドに立った。父親と一緒に選んだグラブをつけながら。



2月、施設の副園長が急性大動脈解離で突然倒れ、亡くなった。84歳。家族で切り盛りする施設で、毎朝「いってらっしゃい」と送り出してくれた。練習で遅く帰ると「なんでこんなに遅いのよ」と言いつつも待っていてくれた。母のような存在だった。


一時は練習に身が入らなかったが、今は、背中を押してくれた副園長のためにも、と野球に打ち込む。


4月には、同じ施設の後輩が野球部に入った。昨秋の試合で、4番打者として本塁打を放つのを施設の仲間と見ていた一人だ。「佐々木さんみたいに野球がやりたい」。背中を追うように入部した。


ひたむきな姿勢にチームも刺激を受けている。主将の金田皓成(こうせい)君(3年)は言う。「当たり前に野球ができるありがたさに気づかされた。尊敬する。でもグラウンドではライバル。負けたくない」


千葉大会は投手として出番があるか分からないが、主軸として打撃でチームを引っ張る。「一人では野球はできなかった。いろんな人の期待に応えられる試合にしたい」。最後の夏はもう目の前だ。(小木雄太)



 

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