風間志織監督/日本
材料(登場人物)はる子(中村麻美)
慎之介(渋川清彦)
苔moss店長・三沢(長塚圭史)
恵利香(安藤希)
金くん(小林且弥)
ヒロムちゃん(高木ブー)
美容院店長(小日向文世)
中本(田辺誠一)ほか
<卵の黄身が食えないオレと、白身が食えないキミ。必要とし合っていると思わないか?>
先日、電車内でこんな高校生カップルがいた。彼女が「かゆ~い」と言いながら蚊にくわれた足をかきむしり始めると、彼が大きなスポーツバッグから、サッとメンソレータム(しかも家庭常備用サイズ)を取り出し、彼女の足にぬってあげていたのだ。
わがまま勝手にふるまう女と、それにかしずく男。なぜかそういうカップルが増殖中だが、そんな現代的な人間模様を、風間監督は、感情にうずもれることなく、リアルに映像化した。脚本は「火星のカノン」でもコンビを組んだ及川章太郎氏。電車内で耳に入ってくる会話のような、自然な日常会話が展開されていく。
定職につかず、一人ぼっちがいやだから、すぐに彼氏を作って同棲することを繰り返す、はる子。はる子を優しく見守る、幼なじみの“慎ちゃん”こと慎之介。慎之介が働く盆栽屋の店長(慎ちゃんのことが好き?)の3人が、主な登場人物。
彼氏にふられたはる子が、盆栽屋に転がり込んでくるところから話は始まり、3人の日常がゆっくりと流れていく。まるで、カフェでのんびり過ごしている時間のように、映画の時間もゆっくり、まったりと進んでいくのが心地良い。
ここに描かれているのは、はっきりとした輪郭のあるものではない。あいまいな空気感と言ったらよいだろうか。
はる子はわがままな女だが、明確なこだわりを持って生きている女ではない。そういうはる子を慎ちゃんは全面的に受け止め、振り回されることがイヤじゃない。しかしこの男のナンパ趣味は、自分からの逃げの行為に映る。要するに2人は、はっきり何かを決めて、進んでいくことができないタチなのだ。唯一のきちんとした大人が店長だが、バイセクシャルであり、社会的にはマイノリティー。あいまいさがなくもない。
劇中何度となく出てくる「ビミョー」「バカ」という言葉が、3人の世界を表しているかのよう。もっと上の世代の人には、若い人が狭い世界で、もがいているようにしか映らないかもしれない。しかし、見進めていくうちに、このあいまいさが、優しさからくるのではないかと思えてくるのだ。
たとえ他人から見たらちっぽけな世界だとしても、細かい出来事が日々起こっている。
熱帯魚が泳ぐ水槽を「ひとつの銀河系」だと慎ちゃんは言う。ならば、彼らの狭い世界も、そこに存在する彼らにとっては果てしない宇宙なのかもしれない。
はる子はねだる。「ギュッてして」と。カーテンにまかれながら夜中に泣く。そのとき、観客は、はる子の感じている「せかいのおわり」を共有している。
しかし、私は思う。何かを失ったときに、人は大人になるというけど、はる子も慎ちゃんも、まだ何も失ってはいないし、始まってもいない、と。劇的な何かを求めてさまよってはいるものの、日常がダラダラと続いていく。このダラダラが続く限り、空は青く世界は平和だ。若い人への監督のまなざしが温かい。
[文・イラスト、上村恭子]
(シネ・アミューズにて公開中。後、全国順次公開)
☆プチ見どころ
その1 お店の構造
その2 マネキンの頭に盆栽